小さな自分史
― 幼年期 ―
私は昭和26年北ドイツ生れの外国人です。
私の最初の記憶は、母親の胎内で
臍の緒を自分の首に巻き付けたことです。この世に生まれ、生きたくなかったから。もちろんこれは本当の記憶ではないでしょう。私が生まれる時臍の緒が首に巻き付いて青あざになり苦しそうに出てきたと言う話を、後に何度か聞かされました。若かった時すでに多くの悩みをかかえ、そのためこうした記憶がつくられたのかと思います。20代でインドを旅行した時、自分は無神論者であったにもかかわらず、青い首をしたシヴァ(破壊と創造の神)に不思議な親近感を覚えたものです。インドについては、また後でふれます。
幼い頃は、荒れ野、森や湖で囲まれ、他にほとんど子供のいない凄い田舎に住み、いつも一人で大自然の中で遊んでいました。ですから学校に入った時、皆の前でずいぶんはにかみました。
その頃ドイツではまだ「弱い者は滅びるべき」と言う考え方が支配的だったので、私のような、一度臆病な姿を見せた者を虐めて皆自分の欲求不満を解消していました。小学校の四年間、毎日ひどく虐められ、毎日死んだ方はマシだと思っていました。でも、今まで死にませんでした。
虐められた子の死にたい気持はよく分かります。長い間周りの人から自尊心を傷つけらると、社会人になっても何か社会から離れた存在になる可能性が高いと思います。あるアメリカの大学の研究結果によると、そういう人たちの自殺率は中年になっても高いということです。
アー、もっと前の記憶があります。一人で森の中考えた:どうしてそんなに苦しんでいる?
なんの罰だ? 悪い事などしないやさし子供だったのに。そしてある時、じゃ、確かそうだった、と考えた。前世の大罪への罰だ。最もひどい犯罪者はナチの強制収容所の虐殺者だと思った。自分が前世で確かそういう人だったと想像した。自分の前世を一所懸命思い出そうとした。自分の名前?そして具体的住所?でも、頭に浮かぶのは写真で見たユダヤ人の苦しみだけだった。実は今までも、理性を失った瞬間にはこうした前世の出来事を思い出そうとします。この様な事を告白するのは初めてです。勿論、私は普通は理性的人間で、霊魂、霊魂輪廻、霊魂不滅といった類は空想の産物で、その存在は信じません。でも、純粋理性も休憩時間があるのです。
幼い頃も結構想像力があったとみえ、当時すでに皮肉も好んでいたらしい。とにかく、次は収容所の虐殺者のさらにその前世を探し始めた。そうして、見つかった。本当に見つかった。もちろん想像の中だけど...
今の人生の二つ前の人生では、私はユダヤ人だった。中世の町の広場で妻と一緒に焼き殺された。また、その時の私の名前と住所を頭の中で探し続けた。私は不思議な子だった。無駄な事ばかり考えた。
理性の台頭、科学の発達にもかかわらずReincarnation(霊魂輪廻)を信じる人が最近増えているらしい。欧米では前世を思い出す講座さえもあります。参加者は皆、昔は王女、伯爵、騎士等高い身分であったことを思い出すそうです。でもよく考えてみると、貴族の数はごくわずかで、人口の大部分は貧しい農民でした。しかも、この世の人口は爆発的に増えましたから、前世に人間だった確率は非常に低いのです。現代人の大部分は動物、いや、あるいは害虫だったかもしれません。
冗談はさておいて、虐めの問題に戻りましょう。
当時の自分の状況を今分析してみると、学校へ入る前すでに両親から自尊心を傷つけられていました。両親は「大人はいつも正しく、子供はいつも馬鹿だ」と考えていました。四十歳を越えた今でも、家に帰ると馬鹿な子供扱いされます。だから、虐められ自殺した子については、その親に責任があると思います。自分の子に誇りと勇気を与えず、子供の悩みを受け止めてあげなかったからです。
厳し過ぎる先生たちと社会の権威主義や階級組織も虐めの原因の一つでしょう。
私自身、幼い頃周りの人からひどい扱いを受けたので、社会について批判的な態度が身についています。社会のネガティブな面に敏感になり、社会の価値観の代表である
神,金,国家,政府,法律, 伝統等を私は崇拝することはありません。ただし、この世の科学の進歩や個人の自由の拡大については喜ばしく思っています。
では、金儲けもせず、キャリアにも興味がない場合、この世で何をしたらいいでしょうか。子供の時の経験から、人間というものがどんなにひどい存在で、大きな過ちを引き起こすものであるかを明らかにしたいと思うようになりました。そして、1000ページ以上にわたる原稿(ドイツ語での小説)を書きました。
虐められた子供に対するアドバイス:野球バット!警告なしに一番ひどいいじめっ子を打って、打って、打って、打って、強く打って、止めないで、早く止めると彼が攻撃するかもしれないから。彼が傷だらけで動きが鈍くなったら止めてもいいです。こうすれば、もうだれをも虐めることはありません。
ガンジーの様な平和主義者ではヒトラーに撃ち勝つことはできません。もし力の強い者が弱い者を撲滅しようとするなら、弱い方が武器を取り撃ち返そうとしても驚くにはおよびません。こういう場合必死に抵抗しなければならないことに私が気が付くのは遅すぎましたが、これは正しいやり方です。
残酷な解決法が性に合わない場合が多いかもしれません。虐められる子供はだいたい優しい無抵抗な子ですから。このような子供たちは抵抗力をつけるため運動、例えば空手の練習をするといいでしょう。体を鍛えると精神的にも強くなりますよ!
もちろん両親が無能でなければ、両親に相談して下さい。あなたの為にすぐにもっといい学校を探してくれるかもしれません。
もし、このホームページを訪ねて下さった方々の中に虐めやその後遺症に悩む人々(年齢に関係なく)がいたら、どうぞ遠慮なく御連絡下さい。私の力の及ぶ限りお役に立ちたいと思います。
いじめについてのもっと詳しいリンク:
いじめ問題などに関するリンク集
http://www.iwa.hokkyodai.ac.jp/profile/professor/murahata/ijime/ijime-link.html
また、次の様なページもあります:
いじめ110番
http://www.secom.co.jp/well/kids.html
私の子供の頃、つまり戦後のドイツでは大人はまだナチ同様の権威主義者でした。田舎はその点でも遅れていて、自然や景色は絵の様に美しくても、子供にとっては天国ではありませんでした。体罰もひどく、当然ながら当時は、現在の日本でも一部の学校がそうであるように、体罰の目的は教育ではなく、先生の怒りの発散の場でした。
ある出来事を良く覚えています:
四年生の時、私がクラスの先生から嫌われる事件が起こりました。
四年生はドイツの小学校の最後の学年で、その後生徒達は学力によって異なる学校(基幹学校、中学校、ギムナジウム)に進みます。先生は父に私がギムナジウムへ進む事を薦めました。父は労働者で学問にはほとんど関心がない人で、その上当時父は酔っていて先生の意見に対して立腹しました。「おれが労働者なんだから、息子もシャベルを持って働けばよい。」それをきっかけに、先生は私の事をいつも「労働者の子で馬鹿」と馬鹿にしました。当時先生は、私が算数の問題の計算を間違ったと思い、気が狂った様に私の横面を殴りました。隣にすわっていた生徒(高校教師の息子)が気がついて、「でも結果は間違ってないじゃないか」と言ってくれました。先生は自分の計算が間違っていたと分かった時「先生が悪かった、すまない、お返しに殴ってもいい」と言いました。私は席から飛び出し、先生の醜い面を力いっぱい殴りました。先生は「これでおあいこだ」とは言わなかった。それどころか、狂犬の様に校長室に突進して、校長に告げ口し、両親にも知らせました。父も、私が先生を殴ったことをひどく怒りました。
この先生は数年後「長い年月子供の教育の為に苦労をおしまずに尽力されました。」との他の教師や校長先生の尊敬に溢れるスピーチに送られながら引退しました。そして、私は十五歳の誕生日の頃、九年間の基幹学校を終え、働き始めました。
−15才から−
卒業後、すぐ自動車部品の卸し売り倉庫で働き始めました。表向きは卸し売りの見習いということでしたが、実際はただの安い労働者で、そういう事は当時よくありました。
毎日、車の部品を運びました。自動車部品は重く、特にトラックの部品の重さは格別で、私は痩せっぽっちで弱かったので仕事の後いつもヘトヘトになりました。ある時無理に重いものを持ち上げ、背骨に支障をきたし、ギプスコルセットをほどこされ、欠勤診断が出されたにもかかわらず、夏の間六週間コルセットをつけたまま働かせられたという事もありました。
当時、私は体力の弱い子でした。
なぜ弱かったのでしょう。
その理由の一つは、精神的なもので、家庭での問題が多く、悩みが多いと、体の調子も悪くなる事があると思います。
もっと直接的な原因は、父がひどいヘビースモーカーで、幼い頃から家で窒息しそうな空気に悩んでいました。私が父のタバコの煙に困り果てていると「弱虫」と言われた事も何回もありました。それで、私も頑張って、十四才ですでに自分も煙草を吸い始めました。
同級生の多くもその頃タバコを吸い始めました。タバコを吸うのは凄く格好よかった。もう大人になったという感じでした。ニ、三年経った頃には毎日50g煙草で紙巻のタバコ五十本を巻いて吸いました。18才の時,身長が185cmで体重が50kgまで減りました。神経質で、口内炎にも悩み、ある日鏡に写った自分の弱々しい姿に唖然とし、「弱虫、馬鹿」と自分をののしりました。そしてその時キッパリ
タバコを止めました。その後、やっと本物の大人になったと感じました。これこそ、大人としての決心でした。
私の人生はあの時からずいぶん変わりました、タバコを止めただけではなく、空手道場にも通い、トレーニングを始めました。運動を懸命に続けたため健康状態が回復し、どんどん体力がついてきました。タバコを止めてただひとつ困ったことは、周りのタバコの煙が気になり、時には窒息しそうになってしまうことです。ですから、今また嫌煙家の私に注意を払わない喫煙家を腹立たしく思います。私の隣では絶対タバコを吸わないで下さい。
世界保健機関(WHO)のTobacco
or Health (英文)
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