自由のコンセプト

はしがき

政府が我々から自由を奪おうとするのに対し、私はここで自由とは何か、そして自由に生きるすべについて考えてみたい。
政府はもともと支配者か、あるいは支配者の意向で動くマリオネットだ。その政府の仕事は主に、支配されている人々から大量の貢ぎ物を取り立てるごとだった。啓蒙主義やフランス革命にもかかわらず、現在の社会構造はそう変わっていない。貢ぎ物は税金と名を変えたが。。。 啓蒙主義やフランス革命は社会構造を全面的には破壊しなかったので、再び同じ過ちが繰り返されている。
大昔から自由に暮らしたい人たちがいた。支配者のない社会に暮すことを望んだ人たちである。そういう人たちはアナーキストを呼ばれた。

アナーキズム(anarchism)の意味は「アン(an)」=「無」と「アーキ(archi)」=「支配、統治」である。「ズム(sm)」は周知のとおりに 「主義」だ、つまりアナーキは支配者なしの状態、無政府状態だが、必ずしも法律なしの状態ではない。アナーキストでも、自分の決めた規則に従っている。よく考えてみると、規則とは「誰にでも同じ自由を」ということのみで十分である。「誰にでも同じ自由を」というのは、フランス革命のスローガンLiberté, Égalité, Fraternité」とは大分違う。

フランス革命のスローガンを日本語に訳すと普通「自由、平等、友愛」と成る。翻訳は解釈のひとつである。日本語の平等とは、すべての人を差別無く待遇することである。だが原語の意味は、同じ、等しいということである。だから極左の共産主義者の解釈では人間は皆制服を着せて同じ給料で働かせなければならないということである。現在の社会福祉国家もその方向に歩んでおり、大金持ちや給料の高い人から高額の税金を取り立てている。だから私のÉgalitéへの非難は「人は同じではない。人を同じにさせたいなら、支配しなければならない」ということである。その支配者は「同じより同じ」ので、つまり一番上。
「同じより同じ」という名文句ジョージ・オーウェルの『動物農場』Animal farmからの引用である。日本語訳では「すべての動物は平等である。しかし、一部の動物は他の動物たちより、より平等である。」

Fraternitéが友愛や博愛だとのはまた別の解釈である。もとの意味は兄弟に由来する。もともと日本の兄弟は平等ではない。あくまでも兄(先輩)と弟(後輩)という関係であるから。欧米では先と後はあまり重要視されず、兄も弟もfrater, brother, Bruderである。
でも、兄弟は仲が良いか?そうではないと思う。聖書の最初の兄弟はカインとアベルだった。カインはアベルを打ち殺した。聖書に登場する次の兄弟はエサウとヤコブである。エサウ イサクの長子だったが、衰弱状態でひとわんのあつもの (a mess of pottage) のために弟 ヤコブ に相続権を売った。この兄弟の人生も喧嘩と嫉妬の連続だった。
ギリシャ神話でもそうだ。オイディプスとイオカステの息子たちエテオクレスとポリニケスの喧嘩も打ち殺しに終わった。ローマ伝説の ロムルスも双生児の兄弟 レムスを打ち殺した。

日本人は年末にベートーベンの第九交響曲「よろこびの歌」 (フリードリヒ・フォン・シラー詩)を熱唱する。ドイツ語のテキストは「アレ メンシェン ヴェルデン ブリューデル ...」、つまり「人々はみな兄弟となる。」 (訳http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/daiku.html)や「全てのひとは兄弟になるのだ」「訳 http://www.kanzaki.com/music/lvb-sym9f.html )という意味だ。
全てのひとは兄弟にはならない。いや、もうなった。すでに昔からカインとアベル兄弟のように喧嘩と打ち殺し合いをしている。

とにかく、Égalité, Fraternitéは無用!必要なのはLibertéだけ!

ハウプト・ホルガー

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