クリスマス
私は無神論者で、おさな子キリストあるいはサンタクロースが我々へのプレゼントのために聖十字架でお陀仏になったことを信じません。
クリスマスの祭日について、私の英雄叙事詩(Adjuna)に次のように書きました。理解の助けのため、ドイツのクリスマスの習慣を少し説明します。クリスマスの約四週間前にアトヴェント、つまり待降節が始まります。待降節に飾る樅(モミ)の小枝を編んだ環をアトヴェンツクランツと言い、それに蝋燭(ろうそく)を四本立て、最初は蝋燭一本に火をともし、蝋燭の火は毎週日曜日毎に一本ずつ増えます。故人の墓にもクランツ(環)を捧げる習慣があります。
私の英雄叙事詩「アデュナ」から:
>>彼らは貰ったアトヴェンツクランツをどうしたか。蝋燭を取りのけ、喪章をつけた。
喪章に書かれた言葉は何か。
「キリスト教の犠牲者を記念して。」
我々はサンタクロースを信じない。おさな子キリストも信じない。神も信じない。だが知っているのは、宗教は大勢の人間の命を奪った事。
クリスマスは悲しい日
「その日、おさな子キリストは生まれなかった。だが太陽は一番低く、その後まただんだん高くなる日である事から、想像豊かな先祖は太陽の再生としてこれを祝った。だが、キリスト教信者がその日を自分のアンチヒーローの誕生日として乱用する限り、そして、キリスト教が人間の記憶に留まる限り、それは悲しい日だ。キリスト教の犠牲者を悼む以外にする事はない。」そして、アデュナは厳かに蝋燭に火を灯し、かく語った。「キリスト教の犠牲となった者の追悼を行なえ。我々のために流した血を忘れるな。大勢の犠牲者が拷問台で死んだ。彼らは暗い時代にありながら、より良い将来へのビジョンを抱きながら死んでいったのだ。もし彼らがいなかったら、我々は今は何処にいただろう。教えてあげよう。いまだ中世、暗黒時代の中、火刑柱に縛られていたにちがいない。今日の我々が考えることはすべて、教会にとって異端である。そして、教会が今もその完全な支配権をその手中に収めていたのなら、彼らは、私達をどんな目に遭わせていただろうか。信仰のための犠牲は無限である。
されば、キリスト教の犠牲者を想え。この日に笑顔を見せるな。キリスト教信者は、その日彼らのおとぎ話の英雄が生まれたと言い張る。だが我々は現実的理由からこの日を覚えているのだ。」
その日彼らは悲しんだ。そして街に出たいとは思わなかった。<<
ホルガー ・H・ハウプト