政治家とは何?

答えは犯罪者。

与党の政治家は、我々を不当に支配する犯罪者であり、野党の政治家は、我々を不当に支配しようとする犯罪者である。

犯罪者とは何?

犯罪を起こす人である。

それで犯罪とは何?

社会を支配する組織がそもそも犯罪組織なのだから、彼らが犯罪とは法律に違反する行為だと主張したところで、この問いの答えになってはいない。そして彼らの考え出した膨大な法令集もその問いに答えるため何の役にもたたない。なぜなら法令集に書かれた事の大部分は不正で犯罪そのものだからだ。
十戒もこの問いの答えには役立たない。十戒は国家の法律と同じく個人の関心事に介入し、長年のキリスト教史上継続していた犯罪を正当化するための道具だった。
犯罪とは何かとの答えはいたって簡単。次の三点に絞られる:

上記の三つの行為のうちたった一つでも犯している者は犯罪者である。(政府という最大の犯罪組織は、三つの犯罪行為をすべて連発で起こし続ける。)人々は無力でも、道義的には、すべての犯罪的攻撃に対する自衛権を有する。自己防衛の際は、攻撃した犯人の命、自由や所有に対する顧慮は必要ない。犯罪者自ら招いた被害だからだ。犯罪者は社会のクズ。いかなる社会も必要としない。

民主主義と多数決についてはどうだろう。

そもそも「民主主義政治」は、国民の大多数の支持よることはまずない。さらに各々の政策の支持率は、マスコミの欺瞞や世論操作にもかかわらずさらに低い。だが、大多数の合意がありさえすれば、犯罪行為は犯罪行為ではなくなるのか。
大多数あるいは大多数から選ばれた「民主主義政府」であっても、少数派や個人に対し犯罪を犯す権利はない。つまり、政府を支持しない人々を戦争へ行かせたり、彼らから”税金”を盗ったり、陪審員に駆り立てたり、運転する時の速度や駐車場所などを制限したり、安全と称して様々な製品を押し付ける権利はない。
多数決がオールマイティーだとしたら、ギャングレイプ(輪姦)を不当化する根拠は何だろう。「あのかわい子ちゃんを強姦したい人この指止まれ」と言って賛成者多数の場合、彼女の意思に反してでも強姦が正当化されると言うのか。*
民主主義はギャングレイプそのものだ。

だが、民主主義はギャングレイプに留まらない。欺瞞だ。つまり、自由な選択の見せかけ。実際、選択可能な政党の数は著しく限られている。ドイツでは公然とした政党禁止**が存在するが、他にも様々な方法で意見の表明は制限されている。2008年米国の長い大統領選挙戦中、自由主義でありながら共和党から立候補したロン・ポールwww.dailypaul.com等のページを参考) の政綱は無視され、共和党集会のボディチェックの際に、人々は拳銃所有だけではなく、ロン・ポールの著作やバッジを持っていないかどうかも調べられ、ロン・ポールの宣伝資料は押収された。共和党の党綱によれば、個人の所有権は尊重されて然るべきなのだが。。。

ロン・ポールが米国の大統領になったら、アメリカ合衆国は本当にチェインジしたであろう。直ちにイラク、アフガニスタンなどから手を引き、戦争しない国に変身したであろう。彼はまたドラッグ常用など、自分の健康に対する行為や管理(保険)については個人の自由と責任においてなされるべきものだと強調した。
私の友人で自由主義のブッターバハhttp://www.butterbach.net/ )は、私が戦後ドイツの逃げ場のない強制収容所の様な学校でファシスト教師から酷い「教育」を受けていた時代に、幸いにも自由な雰囲気の私立学校に通うことができた。その私立学校のある先生は民主主義を次のような譬えで説明したということである:魚を調理したいコックは魚に選択を与える。その選択とは、ホワイトソースで調理されたいか、それともブラウンソースで調理されたいかである。調理されないで自由に生き続けることは選択には含まれていないのである。
民主主義とはそんなものだ。ー 英国は、1215年のマグナカルタ (=大憲章, 英国憲法の基礎)からの長い選挙の歴史を有している。それゆえ英国ならびに英国に由来する米国は、このホワイトソースかブラウンソースかのシステムを高度に発達させた。保守党か労働党、共和党か民主党、漫画化して象かロバかという選択のみを与えるのである。しかも自国だけではなくその他の世界をも支配する。公然と植民地支配によって、あるいは見せ掛けの世界警察官として。
日本を含む他の国でもコックはこうした「民主主義」によって魚を調理する。そして調理されたくない魚は発言できない。

政治家の犯罪は軽犯ではない。税金や強制保険(社会保障分担金)の形で人々から僅かな金を盗む(スカンジナビア、ドイツ、イギリス、アメリカ等では収入の半分以上の場合が多い)。また、人々から自由を奪う(運転する時やバスに乗る時の縛りつけ、大麻吸引や麻薬常用者の実刑)。それだけではない。政治の犯罪はどんな個人の犯罪をもはるかにしのぐ 。どんな悪質な個人犯でも、例え最悪の小児強姦犯人や幼児殺害者でさえ、犠牲者は一握りの人々に過ぎない。それに比べ、ベトナム、ユーゴスラビア、イラク、アフガニスタン等などで民主主義の政治家が引き起こした戦争による無数の殺されたや片輪になった子供は一体何なのだ?そして世界大戦は?
パワーポリティックス(権力や経済)のために行動した政治家は、オルガスム(性的興奮)のために行動した性犯罪者とは異なるということか。だから政治家達は偉いというのか。政治家による犠牲者は死者や片輪。犠牲者の中には片輪になることより犯された方がマシだと思う人が多いのではないか。

こうした政治家の破廉恥とも言うべき罪を、単に弾劾すべきではない。彼らは手腕のある人だ。恥じることもなく大口をたたき、一席ぶつことができるのは評価すべき才能である。例えば、レーニン。彼は封建体制権力者に対し大衆を扇動し、自ら権力者にのし上がったのだが、前の支配者以上に酷く人々を迫害した。また、ヒットラーのようにユダヤ人のような少数派に対し大衆を扇動し、大衆に優越感を与えるながら実は弾圧するのは大した才能である。
現在の血の気のない月並な政治家でさえ、民衆扇動力、指導力、カリスマ性、洞察力、 抜けめなさを充分に備えており、彼らをある程度称賛すべきである。彼らは人生に目的をもち、目的を達成する。政権を握り、人を支配下に置いて自由に動かし、騙し、財産を奪い、奪った金を気のままに使い、その上犠牲者をばかにするのはいい気持ちに違いない。

我々を不当に支配するこれらの犯罪者は社会全体を、各々の人の意思とは関係なく、操る。それは個人的成功であり、尊敬に値する。

私は、自分の政策の犠牲者はどうでもいいと思う政治家本人はそれ程憎んではいない。自分がその犠牲者の一人でない限り。。。

その犠牲者とは一体どんな者か。馬鹿者、群民。投げ与えられる屑を彼らは餌にし、飲み込む。しかもこの愚民たちは、社会の支配者が投げたゴミのような餌を最上のものと懸命に褒めちぎる。他人が自分の人生をコントロールすることを許してもよいと思う者は、犠牲者となればいい。

軽蔑すべきは我々を支配する犯罪者ではなく、支配を容易にさせる群民である。そして卑しむべきのも社会を支配する犯罪者ではなく、彼らの手下となって働く公務員、警察、秘密警察(ドイツの護憲者)等である。彼らは比較的安い給料で、同胞たちに対し繰り返し犯罪を犯すのだ。私はいつも言うのは、彼らは自分の利益とリスクにおいて犯罪を犯す勇気がないということだ。***

「でも、国家(政府、政治家)は我々を犯罪者から守ってくれる。」と群民は反応するだろう。でも違う。それは大きな過りだ。それはただの政府的支配の副産物にすぎない社会支配犯罪組織である国家の動機は異なる。すなわち国家自身が暴力と犯罪に対して独占権を握ることだ。国家がコントロールできないフリーランス犯罪者は、国家というシステムの中の邪魔者であり、だから逮捕監禁される。それ自体は悪くない。いかなる社会も犯人を必要としないのだから。
日本では、今なお殺人や強盗に対し実質的な厳しい刑が適用される。(だが一方、犠牲者のない違反、例えばマリファナたばこを一本所持していただけでも実刑に処させる。それこそ不当監禁という犯罪だ)。****
逆に、ドイツ国家はフリーランス犯罪者を迫害することはほとんどないようだ。無気力な刑事訴訟と刑罰から、ドイツ国家は個人犯人に対し連帯感を抱いているのではないかとさえ思える(しかし、イデオロギー的な理由での迫害には熱心である)。

政治に関わる人間は単に机上の犯罪者ならびに演壇犯罪者にすぎない。最悪度は第二番。屑人間の最悪中の最悪は警察の人間だ。彼らはユダヤ人の存在が違法の場合にはユダヤ人を迫害し、ユダヤ人大虐殺に疑問を呈することが違法になると、ユダヤ人虐殺懐疑者を迫害する。警察の人間は、同胞たちを銃殺したくなくまた自分も銃殺されたくない脱兵や良心的兵役拒否者を逮捕し、絞首刑執行人の手に委ねる。彼らはベルリン壁を越えようとする者を銃殺した輩でもある。彼らは、私達が単にシートベルトを着用せず、あるいはヘルメットを被らず、さらには義務化された「安全装置」を使わずに、「自分の命を危険にさらす」場合、勝手に「罰金」の形で私達の金を盗る。覚えておいて欲しい。「私達の命を守ろう」と働いた同じ人間が、場合によっては罪のない私達を死刑に追いやる。

個人の犯罪者に対しては自己防衛という正当な手段がある。だが、最大の犯罪組織である国家への抵抗はいつも命がけだ。税金や僅かな罰金、例えばシートベルトを着用しなかったための罰金を払うことを拒否し、自分の意思を貫き通せば、その後も国家の手下による暴力的な手入れにより、最後は死に追いやられることになる。国家は我々の否(No)を認めない。
国家が我々を守ってくれる。。。なんて馬鹿な話。
自分で自分を守るか、民間の警備保障会社に頼んだほうがずっといい。

どうして分らないのだろう。国家とは、全てを支配下におくため膨大な費用がかかっているのに全く役に立たない 代物だということを。国家がなければ、人々の暮らしはより豊かであること。支配者は人々が幸福に暮らすことを許すことができない。支配者はいつも人々の不安 を掻き立てる必要がある。神の怒り、他人の行動、外国の攻撃、狂牛病、鳥インフルエンザ、豚インフルエンザ、地球温暖化、少子化、失業などなど。。。

我々の生活に必要なものは、技術改革や機械化のお陰でごく簡単に生産できるようになった。例えば昔十万人で行っていた収穫は現在機械を使えば一人で済む。だが、その一人でさえも衛星ナビのお陰で不必要になったということだ。(ディスカバリ・チャンネルより)
国家は、こうした事態に対し、管理者という膨大な数の新しい仕事場(人々の自由な行動と営業を妨げる仕事であり)作り出した。しかも現在の利子貨幣制度は益々無意味な生産と消費を必要とする。利子を維持するための生産と消費に勤しむのに息をつく暇さえ与えられない。
経済は危機に瀕しているということだ。国家は投資し、新しい職場を創出する。(そして裏には暴利をむさぼり笑いのとまらない人がいる。)どうしてこのような遠回りをするのだろう。金と手間がのかかる上に環境にもよくない。直接失業者あるいはすべての国民に直接お金を渡すことをしないのだろうか。(1万2000円ぽっちの施し以上のものを)

問題は失業ではない、お金がない事が問題だ! (それは世界中のプレイボーイたちが証明している。)

人間がこの世で生きていくためには、この世(地球)の一部を使っていくことが不可欠だ。だが現在世界はすでに所有化され、所有化されていない荒地などは自然保護地で使用は禁止されている。所有を尊重すべきだと思う私は、このジレンマから抜け出す道は一つしかないと考える。それは、生きるための基本(衣食住)を得るための手段(報償)が最初からすべての人に与えられることである。(それ以上の豊かな暮らしをしたい人は働いたり、経済活動をすればいい。)
そうした報償がなければ、不幸な人(財産、仕事、援助のない人)は窃盗を働かないかぎり生きていくことはできず餓死する
報償はすべての人に平等に与えられるべきだ。
それによって流通貨幣が増えるので、生産が同じ程度で増えなければインフレーションで貨幣の価値が下がるが、その負担は皆が平等に負う。
報償は食衣住の値段に基き定額すれば、いちいち管理する政府は必要なくなる。管理が政治家の手に握られることは、政治家による権力の悪用と社会の操作に繋がる。(管理は旧型のコンピュータにでも出来るはず)
もう一つの大事な点は、報償金は現在の中央銀行制度の中の金融創造システムによって生みだされた金ではない。この新しい金はだだ印刷される金だ。この新しい金のためには何人も利子を払わず貰わない。
利子貨幣制度は過去にも度々崩壊し、恐慌や戦争など社会に大打撃を与えた。現代のシステムも必然的に危機に瀕する。2000年前の先祖が金貨一枚を3%の利子で預金したとすれば、現世代は世界全体を所有する。しかも純金としてだ。長時間のノンセンスは短時間でもノンセンスである。鉄は錆びる。作物は腐る。物の価値はだいたい時間とともに下がるので、貨幣が利子を生んで増えることは不条理である。(暇あれば、経済についても書くつもりである。経済が専門ではないので、基本から考えることになるだろう。とにかく、経済学者が考え出した現在の制度が経済危機を生じさせたのた。)

前の問いに戻ろう。どうして、支配者は人々に自由と余裕のある生活をあたえたくないのか。この問いの答えは簡単で、しかも冷酷、無慈悲である。被支配者には心労と苦労を与えるべきで、余裕や暇はもっての他!古代エジプトですでに人々は、そのためにピラミッドを造らなければならなかった。そうでなかったら、人々はナイル川洪水時にはやることがなくなって、世間について考えを廻らす様になり、特にファラオの存在に疑問を呈することになったかもしれない。

我々はもうピラミッドを造らないが(別のノンセンスはまだ多いけれど)、我々の国家はまだピラミッドである。この現代のピラミッドである国家こそ取り壊していかなければならない。

 

脚注

* 早稲田の大学生によって設立されたイベントサークル「スーパーフリー」では、女性達が民主主義的に男性の多数派によって輪姦されスキャンダルになった。政治家ならびに彼らの手先である警察や裁判官は、自分達が性的きわめて潔癖なふりをするのが慣わしであるからか、主催者の幹事たちを長年の懲役に処した。主犯は14年の実刑、他の共犯13人には、2年4ヶ月から10年まで(その根拠は何?)の実刑が言い渡された。

** ドイツ政府は1952年ナチスの国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)の後継党であるSRP(=Sozialistische Reichspartei)を禁止し、1953年には「5パーセント条項」つまり選挙時の党の投票数が全体の5パーセント以上でなければ、国会に入れないと言う法律を施行した。少数者に対する差別以外の何ものでもない。1956年、ドイツ共産党が数州で5%を越えた際には共産党も禁じられた。それ以外にも、多くの極右と極左の急進集団が政党であっても、集団として禁じられた。例えば、1989年のEU議会選挙で0.1%(2万弱の投票者)の票を獲得したFAP(自由ドイツ労働党)は1995年に禁止された。
2001年、政府ならびに野党と称する政治家組織は、当時多州で5パーセントを越えてきたドイツの国家主義党(NPD)を憲法違反の理由で禁じようとしたが、2003年ドイツの憲法裁判所は党禁止の判決を下すことができなかった。なぜなら、党の告発理由となった反ユダヤ扇動の文言は実はいわゆる「護憲者、独語:Verfassungsschützer」、つまり政府が挑発目的で入党させた秘密警察によって書かれたものだったからである。この同じ政府が、無恥にもNPDの政綱はドイツの恥であり、汚点であると再度強調した。(当政府はこの段階で民主主義に参加する資格を失うべきであったが、大衆は馬鹿なので、性懲りもなく同じ組織政党を選び続けているのだ。)
2009年の3月、ちょうどこの記事を書いていた時、ドイツ国税局はNPDを倒産に追い込もうとしていた。その時私はが気付いたことは、ドイツの組織政党全てがNPDの禁止に賛成であることだ。

保守党であるCDU(キリスト教民主同盟)は民主主義ならびに保守的立場からNPDの禁止に賛成。
ドイツの第二の党であるSPD(社会民主党)は左派であるから右派のNPDの禁止に賛成。
DieGrünen(左派でもあり環境保護主義者でもある「みどり党」)とDieLinken(左派者)も左派であるから右派のNPDの禁止に賛成。
FDP(ドイツの自由主義者)は別の理由があった。自由が党のモットーであるから、自由を尊重しないとの汚名をこうむるNPDの禁止に賛成。
組織化された既存の政党が提供する選択の範囲とは実に広いものである。

*** それに関し、ドイツの緑党の候補者に立った事のある昔の同級生は「。。。警察官になったのはクラスの最悪の連中だった。」と述べた。暴力と軽犯の経験が警察官の仕事にプラスになることは確かだ。
2006年日本で犯罪の犠牲者となった私をも見て下さい。

**** 2008年、ある相撲取りがたった一本のマリファナたばこ所持のかどで相撲協会から追放され、刑事罰を受けた。同じ年、別の相撲部屋の18才の弟子が親方や兄弟子からビール瓶などで暴行を受け殺された。一般マスコミ、つまり体制側にあるメディアは、相撲界の生んだ問題としてこの二つの事件を一緒くたに扱った。しかし実際は、殺された弟子もマリファナたばこ所持の力士も、他人の人生に不当に介入した権力者の犠牲者である。
裁判長が打殺し屋の親方に僅か6年の懲役刑しか宣告しなかったのは権力者どうしの連帯感があったとしかいいようがない。以前無謀運転(飲酒と暴走)で死亡事故を起こしたドライバーが懲役20年の判決を受けたことは尤もだと思うが、意図的に人を傷つけたことで相手を死に至らせた犯罪者はさらにもっと厳しい刑を受けて当然なのではないか。


ホルガー ・H・ハウプト

2009年6月

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