2005年夏の土産話

今年はもう5月の31日が休暇のはじまり!今年もドイツへ行きました。ドイツは6月初旬でも夏とは思えない位の寒さでした。朝の運動をした時は、外の気温がほとんど摂氏10度以下でした。

祖父(1885-1974)を最後まで介護した叔母から曾祖父の写真(左上)を貰いました。この写真は祖父のベッドの上に飾ってあったものであることを覚えています。幼い頃、髭を生やした人を見た事がなかったので、可笑しい人だと思いました。ヨーロッパの男性は第一次世界大戦の毒ガス戦の時に防毒マスクの装着具合を良くする為に髭を剃りました。それからずっと60年代のヒッピー時代まで髭を剃り続けました。
曾祖父には会った事もなく、知っている事もないせいか、家族で一番感じのいい人だと思います。その上私にそっくり。他の親戚の男性で彼に似ている人は一人もいません。まさか、祖母は。。。

ドイツでは、また面白い仲間達に会いました。
長年のインターネット友達ブッターバッハさん(67歳)(http://www.butterbach.net/)はその中の一人でした。彼はルクセンブルクの出身で、現在ハンブルク在住のアナーキストで、自由な社会を目指し、そのための情報を三ヶ国語を駆使したウェブページやメルマガで発信しています。彼の祖父は億万長者で鋳物工場を所有していました。ルクセンブルクでは今でもその工場で鋳たマンホールの蓋が見られますが、もう一族は落ちぶれ、友人も貧しい生活を余儀なくされ、生活保護を受けています。
ドイツではもう数年前から自由な意見の発信地である個人のウェブサイトやメールが、小児愛者の悪用を理由に検閲されています。特に緑の党はそうした検閲に熱心で、雑誌等に掲載されているヌーディスト・ビーチの写真に子供の裸が載ってたりすると、小児愛者がそれを見てマスターベーションをする可能性があるとの馬鹿馬鹿しい理由から処罰の対象にしようとしました。マスターベーションが誰かに害を与えるでしょうか。
この件に関し、風刺をこめたページ(私のアダルトサイト:http://hpo.net/users/hhhptdai/paedophil.htm(^_-))を作成しました。このページに載せた写真はフリードリヒ大王のサンスーシー宮殿で撮ったものです。このページを見たブッターバッハさんは私がホモまたはバイ(男女両性に性欲を感じる人)かと思い、私をセックスパートナーにすることも考えていたようです。でも残念ながら私はそこまで自由な人間ではありません。私のセックスライフはごく狭い範囲に限られています。セックスの相手は30年間幸せに連れ添ってきた妻がなんと言っても一番です。でも、私の心はそんなに狭くもありませんから、若い美人(女性に限る!)を愛することも不可能ではありません。
ブッターバッハさんは私の家を訪ね、庭に立てたテントで三日間彼の年老いたペットの猫と一緒に寝泊りしました。そのネコは腎臓に障害があり、体全体で排尿をするという臭いネコでした。
その後彼は私にハンブルクを案内してくれました。まず、ハンブルクの歓楽街であるサンクトパウリへ繰り出しましたが、お昼頃で街は閑散とし、皆ナイトライフで疲れたせいか誰もいませんでした。

人通りのなくなったお昼のサンクトパウリ街

有名なスタークラブ。ビートルズ発祥の店。

驚いた。60年代、僕がティーンエイジャーの時通ったディスコがまだありました。

ローテ・フローラ(Rote Flora)、1888年に建てられ、第二次世界大戦の戦火を免れた唯一の劇場。文化遺産とも言うべく存在であるにもかかわらず1987年この古い建物はモダンなミュージックホールとして修復される計画が浮上しました。しかし、大勢の住民が反対し、警察との壮絶な戦いの結果自治区の様な所となりました。現在、この建物は主にパンカー達等のイベントに使われているらしい。

これは劇場の正面左脇の入口で、オートバイ互助会へ通じる。

正面入口はレンガで塞がれています。

右脇の入口

やっぱりサンクトパウリは赤線地帯です。"Zur Ritze"= 「割れ目へ」と言う意味です。残念ながら「割れ目」の中に入りませんでした。

次に訪ねたインターネット友人はカール・ナーゲル氏でした。彼は私の昔のメルマガの記事にも登場しました。彼は実に悪名の名士で、1982年からハノーバー等の町でパンカーの催し「カオス・デーズ(=混沌の日々)」を主催しました。するとパンカーの大敵である国の機動隊や、ファシストのスキンヘッドも姿を現し、町中心は大混乱に落ち入りました。ハノーバーの市民は今も彼の名前を聞くと恐れと不安に襲われるようです。
1983年のカオス・デーズのモットーは「方向転換−パンクスとスキンスの融合」だったのですが、この仲直りフェスティヴァルも暴動に終わりました。http://www.force-of-hate.net/html/chaos-tage_1983.html(写真多数!)
カール・ナーゲルはその後、極右のスキンとパンカーとの和解に尽力し、一緒に社会支配者組織に対して戦って行くよう努めましたが、やはり憎しみは深く、今年の4月31歳のパンカーが17歳のスキンに刺し殺されました。カラフルな衣装ヘアスタイルの他に、パンカーは何の挑発もしなかったそうです。パンカーは妻と2人の子供を残して亡くなりました。
現在、カール・ナーゲル氏はポゴ・アナーキスムという運動をやっています。彼の考えたポゴ・アナーキスムは普通のアナーキスム(無政府主義)と大分違います。カール・ナーゲルのポゴ・アナーキストは、働かずに政府からなるべく多く金をせしめ、毎日大酒を飲み、マリファナたばこを吸い、セックスもやりまくりたい。(こんな体に悪い生活態度で性交はまだ可能かな?)。この大目的達成のためわざわざ政党まで作りました: http://www.appd.de/。2002年の連邦議会選挙の時、党として立候補に必要な三万人の署名を集めて選挙に参加しました。今年の秋に行われる連邦議会選挙のためにもすでに必要な署名を集め、立候補の準備をしています。ドイツ国民を愚鈍化し、かつてのバルカン半島のようにまとまりのない状態にすることをスローガンとする党の驚くべき実行力!
私が彼を訪ねた時、彼はちょうどある「テレビ演説」の収録を終えたところで、その録画を見せてくれました。ドイツ語の達者な方、どうぞ彼のスピーチを聞いてみてくだざい。
彼は演説の中でポゴ・アナーキスト政党は冗談党(Spasspartei)ではないと説明します。「もしあなた方が政治をまじめに捉えるなら、我々の党をもまじめに捉えなければならない。なぜなら、我々も今の政党同様あなた方を騙すのだから。これは冗談ではない。」
カールは人々には、怠け、大酒を飲み、マリファナたばこを吸えと説教するのですが、信者に水を飲めと説教しながら自分ではワインを飲むキリスト教の牧師たちとは違い、彼自身は自分の説教と裏腹に、良く片付いたスタジオ付きアパートに住み、タバコも吸わずまじめに忙しく働く人でした。また彼は漫画家でもあります。
「政治」を語るカール・ナーゲル氏:http://www.appd.de/website/action/sub/pp/movies.php
<<彼のスピーチ・ページは現在中止になっています。彼とポゴ・アナーキスト合唱団の歌うポゴ・アナーキスト・マーチと賛歌をお聴きください。APPD-Parteimarsch (mp3/3,2 mb) APPD-Hymne (mp3/2,3 mb) 。>>

ラツィンガー枢機卿(法王べネディクト16世)
今年4月、ドイツ人であるラツィンガー枢機卿が教皇になった時、ドイツのマスメディアは「我々は教皇である!」(Bild−Zeitung: "Wir sind Papst!")など馬鹿な大騒ぎをしました。
なぜ馬鹿かというと、ドイツの人口の半分はそもそも教会に属しておらず、しかもキリスト教者の半分以上はプロテスタントでカトリック信者ではない。この数は、最近無宗教の失業者が教会税を払わないように起こした裁判で明らかになりました。ドイツには教会税があります。自ら教会との無関係を申し出た者は収入から教会税を支払わずにすみますが、彼らが失業者になった場合は、わずかな失業給付手当から自動的に再び教会税が差し引かれます。無宗教者は数が少なく、そのために教会税をとらなくするのは面倒臭いという理由だそうです。
「汝盗むなかれ」という聖書の「十戒」を教会は守っていません。今年8月9日から25日まで開催されたワールドユースデー ケルン大会(3年に一度開催される世界規模のカトリック青年大会)の場合もそうです。教会は世界中から若者を招待しましたが、教会自体はその費用をほとんど負担しなかったのです。120万ユーロがEUから,750万ユーロがドイツ連邦から、300万ユーロがノルトライン・ウェストファーレン州から、その上300万ユーロはケルン市から支払われました。これらはすべて国民の税金です。ケルンのマイスナー枢機卿が受け取る11,000ユーロの給料は教会税で支払われているのではなく、ケルン市から、すなわち全市民の税金から仕払われているのです。ドイツの二大教会、すなわちカトリック教会ならびにプロテスタント教会は教会税以外に国や自治体からさらに毎年200億ユーロの収入を得ているのです。もちろんこれらも国民の税金です。
ドイツの著名な作家でキリスト教批判者であるカールハインツ・デシュナー(http://www.hpo.net/users/hhhptdai/kyoukaihanzai.htmを参照)が今年80歳の誕生日を迎えた時、市長が誕生パーティーを催しました。その時、キリスト教信者は、無信論者が飲んでいるシャンペンを信者の税金から払うべきでないと抗議しました。デシュナー氏:「シャンペン位自分で払います。」

教皇任命時の話に戻りましょう。
ラツィンガー枢機卿が教皇に任命された時、ポゴ・アナーキストもバチカンへ祝電を打ちました。「ラツィンガーさんはいい選択だった。」 「性的に極端に潔癖でお堅い、この上なく保守的なお方は品位のあるよき羊飼いであり、信者の羊にぴったりなお方である。」等々の電報。
それから、APPDは対立教皇も見つけました。対立教皇というのは教会の歴史に(3世紀から1449年まで)何回も現れた教皇同士で、互いに対立し、争いを起こしました。今回見つかった対立教皇もまた我らの誇るドイツ人です。
この対立教皇はポルノ・キリスト教会派の代表者で、麻薬、アルコール、セックス、そして全原子爆弾の起爆によって神に近づくことを意図する!!
見てください。二人ともセクシーな法王です:

対立法王の方がよりセクシー?:

ミットフィックツェントラーレ:
ヒッチハイクはドイツを最も安く旅行する方法です。 ヒッチハイクより安全なのが「ミットファールツェントラーレ(Mitfahrzentrale)http://www.mitfahrzentrale.de「相乗りの仲介所」で、目的地へ行く運転手を探し、わずかなガソリン代を負担するだけで旅行することができます。
APPDが公開したのはMitfickzentrale(fickは英語のファックと同じ性交に対する下品な言葉), つまり性交相手仲介所です。残念な(有難い?)ことに登録されている人のうち、九十数パーセントは男性だそうです。ベルリンのミットフィックツェントラーレのオープニング・パーティー:http://www.appd.de/website/action/sub/pp/artikel.php?skin=website_std&id=20050720_124400_ficken
ポゴ・アナーキストの別のイベント:http://www.appd.de/website/action/sub/pp/artikel.php?skin=website_std&id=20050803_081700_fa。この中のひとつ、「単純な大衆」の為に行われたゲームは樽入りビールの賞品をゲットするための小便競技(オシッコをグラスに、零さないように放尿する)。
APPDの秘書達は自分からおっぱいを露出するサービスをします:http://www.appd.de/website/images/upload/2005_08/fa4.jpg(写真の背景にはその秘書のひとりがいます)。
最近はドイツでも(アメリカと同様)フェミニストや保守的で信心深い女性が、仕事場で男性の仲間からディナーに誘われただけですぐセクハラの訴訟を起こすことがあります。結婚人口の半分が、結婚相手を仕事場で見つけるのが実情なのに。。。
ポゴ・アナーキストの女性の話によれば、彼女達はセクハラを大歓迎します。

公平にチャンスを与えない不自由な社会こそ、パンカーなどの反抗的で過激な人々を生み出すのです。こうした社会的アウトサイダーは、嘘だらけの社会を支持する並の人間よりずっと害の少ない人たちだと思います。酔っても既成の社会に丸め込まれないアウトサイダーこそ権威に従順な人間より聡明であるに違いないのです。

ドイツにはポゴ・アナーキストのようなウィットに富んだ人はとても少ない。一般のドイツ人は頑固で、今でも命令や規則のみに従って行動し、心に余裕のない、ユーモアのセンスに欠ける存在です。私は今年もその「醜いドイツ人」を経験しました。
ドイツでは横断歩道を渡ろうとする人がいれば、法律によれば車はすぐに止まらなければなりません。私がハンブルクで、ガラガラに空いている4車線の道を道路名標を読もうとゆっくり走っていた時のこと、反対側の歩道に立っている女性が怒って、こぶしを振り、すごみました。私は横断歩道の前で止まる必要は全くないと考え、停止せずにそのまま去りました。後に彼女から告発されました。ドイツでは昔からただ規則に従う事だけに執念を燃やす人が多くいます。例えばいつも窓から遺法駐車する人はいないか見張って、見つけるとすぐに警察に通報するのです。昔私の両親は日曜日に洗濯物を干しているところを近所の人に通告されました。(日曜日に教会へ行く人の目障りになるという理由で禁じられていました。)

次は去年の出来事です。ドイツでは右側通行です。ほとんどの道路は道幅が広く、車道の両側には自転車専用路と歩道もあります。自転車は専用路を車の走る車線と同じ方向に走り、左側は対面通行と考えられています。実際そうかどうかは分かりません。煩雑なあらゆる交通規則を調べてみても、この問題に関する規則を見つけることはできませんでした。ベルリンでは自転車専用路は習慣的に両面通行で、あるベルリンの巡査によると自転車は専用路を右側通行すれば良いということです。
田舎のシュレースヴィッヒ・ホルシュタイン州へ戻りましょう。去年、私が自転車で進行方向左側にある自転車専用路を僅かな距離走った時、対面走行してきた自転車がわざわざ路をふさぎました。その自転車の男性は怒った様子で、私が道路の右側にある自転車専用路を走らなければならないと言い張ったのです。私が「あなたが右側を走ってくれさえすれば、問題なくすれ違う事ができるでしょう。私の目的地はすぐそこなんです。」と答えても、彼は聞き入れず私を自転車専用路から車道へ押し出そうとしました。普通の軟弱な中年男だったので、実際に私を車道に突き飛ばすことはできませんでしたが。。。
彼は典型的ドイツ人です。左側の自転車専用路走行禁止にこだわるあまり、それよりずっと危険な「人を車道に押し出す」という行為を実行するのです。
同様に、80歳であまり体力のない私の母が、買い物に行くため自転車で進行方向左側の自転車専用路を走っていたとき、警察官は、母にまず自転車専用路より高い緑地帯を横切り通行量の多い車道を反対側に渡らせ、右側の自転車道路を走らせたということです。これは交通安全とはまったく関係のない単なる規則への盲従です。
(自転車に乗る日本人はその面では全く逆です:私のテキストhttp://www.hpo.net/users/hhhptdai/hidarigawatsuukou.htmを参照)
無意味に命令や規則に盲従するのは、知性の侮辱に他なりません。
他人に盲従を強いるのは、他人の自由と権利を奪う犯罪です。 (人権憲章より「誰にも同じ自由を」というたったひとつの人権をならびにhttp://www.hpo.net/users/hhhptdai/epilog.htmを参照)

私自身は、日本でドイツ人のように他人の行動についてとやかく言う人に出会いませんでしたが、「行動のプリンシパルhttp://www.hpo.net/users/hhhptdai/epilog.htm」を書いたケン・スクールランドは1986年(函館で客員教授をつとめていた時)規則の厳しい日本の教育について「Shogun's Ghost: The Dark Side of Japanese Education?」(=将軍の魂、日本の教育の暗い側面)という本を書きました。体罰や、生徒が禁止されていたヘアドライヤーを持ってきたことで教師に殺されたことなどの暗い内容です。今でも英語圏のベストセラーだそうです:http://info.greenwood.com/books/0897892/0897892186.html。外人は日本人の悪い面を知ることが嬉しいのです。
でも私はこの本に書かれている内容はもう過去のことであればいいと思います。
ケン・スクールランドはアメリカの教育や子供の扱いに対しても批判していますが、インターネットでしか発表されていません。(http://www.libertarian.co.uk/lapubs/educn/educn001.pdfを参照)。保護施設に入れられたくなかった15歳の女性が、逃亡し際警察官に顔を撃たれたことなどの例をあげています。ひどい事件は日本に限りません。

ドイツの話に戻りましょう。今年、長年不思議に思っていたひとつの謎が解けました。ドイツで支払いをする時、客が例えば9ユーロ43セントを支払わなければならない場合、10ユーロ札と43セントを出すと、店員はその43セントを受け取らず、57セントの細かいお釣りをくれます。何度もこうした経験をした妻は、ドイツ人は計算ができないと思っていました。でも今回、同じような場面である店員に、「私もそんな細かい硬貨はいらない!」と言われました。
私たちドイツ人が外国人から悪い評判を受けるのも、不思議ではありません。

ドイツは安全に関してやかましい国です。ヘルメットやシートベルトの着用、建築規定などなど。。。自身の安全を守るだけで他人の安全には関係のない規則でも違反するとすぐ罰金。でも、以前の安全な踏み切りの遮断機(左の写真)が、最近半分の長さの安全性の低い遮断機と取り替えられました。この遮断機では子供などは踏み切りが閉まっていても線路を渡ることができます。
このタイプの遮断機は何年か前からありましたが、全ドイツ自動車クラブの情報によれば、遮断機を無視して踏み切りを渡った歩行者に対する罰金は今までの5ユーロから225ユーロに上がったということです。遮断機を半分にし、踏み切りを渡りやすくして国は違反者からガップリ罰金をせしめる魂胆でしょうか。



古いタイプ(ある工場の入口で撮った)と新しいタイプの踏み切り。

***

キールウィーク:北海とバルト海に囲まれた土地に生まれ育った私は、海と船が大好きです。20年前、私はモーターセーラーを所有し、一年間地中海で過ごしました。ですから船を見るのは懐かしいです。今年も家から25キロ北に位置するキール港で開催されたキールウィークへ行きました。セーリング競技がメインイベント(http://www.marine.co.jp/aiko/kiel/kiel.htmlを参照)ですが、私にとって一番関心があるのは古い帆船です。





私はこの女性達を見たとき、原宿のコスプレ(原宿へのラブレターを参照)を思い出しましたが、彼女達はコスプレを楽しんでいるわけではなく、太陽電池の会社のアルバイトで、販売促進のためにソーラー妖精を演じているのです。私はセールスマンとも話しました。彼は、高価なソーラーパネルを買って、屋根にセッティングすることを私に熱心に勧めました。そうすれば、政府からの特別用途助成金がもらえて、数年で原価償却でき、その後は儲かると説明しました。風力発電と同じようなことです。(私のテキスト風力はエネルギー危機の解決!を参照)

このキールウィークへの客は古い東ドイツ製の車の昔のナショナル・サイン”DDR”(=ドイツ民主共和国)から二字を消しました。

私は大都会のお祭り騒ぎよりのどやかな田舎風景のほうが好きです。家の近くの小さな村のメインストリート。

これらの像はハンブルクのシンボルで、水運び屋の「ハンス・フンメル」。最近ドイツでは、多くの都市がその町のシンボルの像をプラスチックで大量生産し、それらを住民や芸術家の手で想像力豊かに色鮮やかに塗ってもらうイベントを行っています。

私の町ノイミュンスターのシンボルは、町の真ん中の池に多くいる白鳥です。このエンジン付き白鳥は面白いと思って写真を撮りました。
ベルリンのシンボルは熊です。ベルリンへも行きましたが、プラスチック製熊の写真は撮りませんでした。



ベルリンのフリードリヒハイン人民公園に接したマガレテ・ソマー・通りには、雑多な人びとが仮住まいをしています。私たちのVWバス(http://www.hpo.net/users/hhhptdai/meinauto.htm)はここでは全く目立ちませんでした。

ここでは、私はパンカー党首脳ではなくパンカーはパンカーでも下っ端のパンカーと一緒です。この人達は私達が見たかぎりAPPDのスローガンを実行に移して一日中大酒を飲んだり、マリファナたばこを吸ったりしています。ポゴ・アナーキストの第三番目の美徳「セックス」をしているところは見ませんでしたけど。。。
この芝生は犬の糞だらけですが、後ろ向きのこの人は夜入れ歯を芝生の上に置いて寝たとのことです。私がカール・ナーゲルから貰った「老人年金より若者年金」と書いてある選挙ステッカーを彼にあげたとき、彼は「しまった!もう若者じゃない、僕はもう40歳になった。」と応えました。私はその答えにあまりにも驚き、「今のあなたの外見の年まで生きられればいいですね。」と言いそびれてしまいました。
カール・ナーゲルのスローガン「老人年金より若者年金」は不合理のように聞こえても、実はそんなに不合理なことではないのです。それについてはまた後で書きます。

世の中は不公平である。特にドイツでは。。。犬はあちこち放尿とウンコのし放題。飼主も始末をしない。でも、人間は放尿・ウンコ禁止。公衆トイレは50セント(約70円)。小便の近い人は「オシッコはビールより高い」と文句を言う。

「ホロコースト記念碑」。オープン直後は、ここでピックニックをしたり、子供たちがブロックで遊んだりしましたが、今ではこうした楽しい事は全部禁じられ、強制収容所の看守のような人が見張りをしています。

次に行ったのはベルリンから100キロ南にあるスプレーの森(スプレー川の枝分かれした支流地域)でした。ここでは人並みにキャンプ場(http://www.spreewald-camping-luebben.de)に泊まりました。 この地方の観光客は今でも主に旧東ドイツの人たちです。カヌーで自由に水域を探索し、楽しかったです。

ウィッテンベルク。1517年、ルターが95ケ条文を貼りつけた教会の門の前。ルターはローマカトリック教会の免罪符販売に抗議し、聖人や殉教者の神話は作り話であると主張し、宗教改革を起こしました。聖書、福音書、使徒行伝も作り話に過ぎないことまではルターは認識できませんでした。
私の解釈では、プロテスタント派は当時ローマカトリック社会が享受し始めたマテリアリズムを暗い信仰へ逆戻しした、いわば原理主義運動に過ぎません。

ハーベルランド(Havelland,ハーベル川流域)とエルベ川の湿地帯にも美しい自然の風景が残っています。 
でも交通標識が多過ぎます。

ヒッツアッカー(Hitzacker http://www.hitzacker.de/index.htm?baum_id=4218)という美しい小都市。 昔の西と東ドイツの国境地方で、開発が遅れた地域です。

帰国出発前にハンブルク空港の「スシバー」で寿司を食べました。寿司は美味しかったものの、緑茶は温かいファンタの味がしました。私達はカウンターで日本人を演じる店員と話をしました。一人はベトナム人、もう一人は中国人でした。緑茶はフルーツ入りの中国茶ということでした。

***

日本に帰国してから、私達はレンタカーで新潟へ行きました。以前(30年前)私は稚内から鹿児島、いや沖縄まで旅行しましたが、裏日本は初めてでした。日本海の魚介類で満腹しました。

新潟で見た日本海の「怪物」(海物?)

西生寺

弘智法印というお坊さんが西生寺奥の院で3000日のきびしい木食行を成満し、貞治2年(1363年)66才で即身成仏そくしんじょうぶつ)を成功、つまり生きているままで(お陀)仏となったそうです。日本で最も古い即身仏のミイラだということです。 中に展示されています。
お寺のウェブサイト:http://www.saisyouji.jp/
詳しい情報:http://www.saisyouji.jp/saisyo-ji/contents-sokusinbutu-navi.html
お寺と回りの風景のスライドショー付きのページ:http://www.naviu.net/saisyouji/saijyoujioomomiji.htm

長い旅の後は、お風呂が一番。良く考えてみると、小原庄助さんは、朝寝、朝酒が好きで、ポゴ・アナーキストの美徳を先取りしていたんですね。

猪苗代といわき市経由で東京へ帰りました。楽しかったです。又日本を旅行したいです。

ハウプト・ホルガー

(2005年8月)

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