2006年日本で犯罪の犠牲者となった私
2006年ドイツからの帰国後、レンタカーで軽井沢、日本アルプス、金沢、新潟への旅行をしました。まだ梅雨明け前だったので承知はしていたものの、もう大した雨は降らないものと楽観視して出かけました。でもずいぶん雨にたたられてしまいました。
雨よりひどいことが起りました。犯罪の犠牲者になったことでした。どういう犯罪なのか詳しく説明します。ある交差点で、そこには前も後ろも右も左も地平線まで他の車はありませんでした。左へ曲がるための専用線で左折しました。この専用線と交差点の間には交通島があり、専用線が流れのように新しい車道に入りました。見通しのいい交差点であったにも関わらず、私は車は来ないかと確かめながら新しい車道に入りました。まるで高速道路の加速車線のようだったので、車は来ないかと確かめるため、後ろを振り返って見なければならないでした。そのため、私は停止の交通標識やそこで待ち伏せしていた犯罪者も見逃しました。待ち伏せ者は茂みから出てきて、サイレンや回転灯の付いたパトカーで私を追い越し停止させました。犯罪者は、「最近、事故が増えてましてねえ。。」などの白々しい話をしながら、私が規則違反で罰金を支払わなければならないと言いました。この様なことで、罰金を課するのは私にしてみれば泥棒犯罪に他なりません。交通安全とは全く関係ないことです。まず、交通にちゃんと注意を払うより、馬鹿な標識や待ち伏せ犯罪者に注意を向けなければならないのは危険です。その上、そういう犯罪の犠牲になった後の精神状態は不安定になり、運転の集中力を害います。
また、パトカーも私の車もペーパーワークのため長時間駐車禁止の道端止まり、交通の妨げになりました。今は配達の車さえ駐車禁止の取り締り対象となっている時代なのに。。。
私は、政府から貰った僅かな給料の為に犯罪を起こす警察とは異なり、周りの人に害を及ぼさない様に注意することを信条にし、しかも安全運転の慎重なドライバーです。16歳から40年間無事故です。
非常識な取り締まりはどこの国でも同じです。なぜなら、どの国でも政府の目的はまたく同じで、それは、人々の財産と自由を奪う事なのです。
私は余暇に運転するのみですが、運転を大事な仕事としている職業運転手にとっては、この穀つぶしとも言うべき役立たずの取締官は迷惑千万という他はないのではないでしょうか。
この前私が甲州街道を自転車で渡ろうとした時、車用信号が赤に変わりました。先を急ぐ私は直ぐ車道に出ましたが、二番目の車線を走ってきた大型トラックが急ブレーキをかけたくないことを察し、道を譲りました。トラックが走り去った後、私は道を渡り続けました。突然物陰で待ち伏せていた、サイレンと回転灯の付いた白バイが飛び出してきて、トラックを追い掛けようとしました。運転免許の持つ私は、サイレンを鳴らし回転灯を点けている乗り物は優先であると知っているので、止まり、再び道を譲りようとしました。獲物捕りに必死になっていた白バイカーは私のすぐ後ろを走ろうとしていたものの、私が道を譲るという誤解のもと、私はもう少しでこの暴走族に殺されるところでした。
政府や政府の執行機関は人々を害から守るものではなく、害そのものです。
よく住宅街を巡回する警察の車が見られますが、車には普通国民の税金で暮らす男性二人が乗っています。そして拡声器から聞こえてくるのは女性の声で、内容は、空巣に注意してくれなどのくだらないものです。(20年前、娘が小さい頃、この騒音で昼寝から起こされ、泣き出しました。今は、近所の子が泣きます。ところで、ドイツでは、こんなばかげた騒音公害は厳しく罰せられます。)政府や執行機関からの犯罪注意の呼掛けなど全く要りません。彼ら自身が犯罪を犯さないだけで充分です。
人間は自分の人生に責任があるものの、他人を害する権利はありません。交通事故を起こすこともなく、他人には迷惑をかけることもなく運転する人を罰し、違反金をとることは、奴隷化的行為と泥棒犯罪の他なりません。
「警察」は、よりによって交通標識を守るのがナンセンスな所で待ち伏せしていることは、どこの国でも同じだと思います。上のような加速車線の一時停止はドイツにもあります。私が運転免許取りたての頃、つまり40年も前から、ヤツラはそうしたところでよく待ち伏せしているのです。
私はドイツでも駐停車禁止の大通りで警察に停止させられた事があります。彼らは、自分でペンキ塗りをした私のVWバス(http://www.hpo.net/users/hhhptdai/meinauto.htm)が怪しいと思っただけです。止めた車(私の車と警察の車)は後車の通行の大きな妨げであったので、私は警察に「ここは駐停車禁止ですよ。」と言ったところ、「警察はどこでも停止、停車ができるのです。」と警察官からは無愛想な反応が返ってきました。「それはそうかもしれませんが、私は我々の後ろの交通が気になります。」との私の言葉に、彼らは不安になったようでした。警官は、ドイツで義務となった救急箱や非常三角灯(Warndreieck/ヴァーン・ドライエック)の提示を求めた後、たち去りました。ナーバスだったせいか、私の救急箱の有効期限が過ぎたことにも気がつかずに。。。
(ドイツで交通事故が発生した場合の一般的な事柄をまとめ:http://www.berlinnet789.de/data/yakudati/ichiran/kinkyu110jk.htm日本語)
民主主義なのに、どうして人々は自分に対してそうした攻撃を許すのでしょうか。おかしいと思います。
私は、2006年夏のテキスト(http://www.hpo.net/users/hhhptdai/sommer2006.htm)執筆時にドイツの「罰金カタログ」(Bussgeldkatalog)の交通違反金の値上げについて調べた時、このページでhttp://www.hpo.net/users/hhhptdai/sommer2005jp.htm紹介した踏み切りで、半分にして渡りやすい遮断機が閉まった時、そこを渡った罰金は450ユーロに上ったことを知りました。家の近くの踏み切りは、電車が6キロを離れた駅を出発した時に閉まります。電車が通過するまではだいたい5分かかります。ですから、人々は踏み切りの信号を無視したいのです。警察はそこは獲物の多い場所だと知っています。
(ところで、私は小学生の時代、臨時貨物列車が通過したときの踏切のせいで学校に遅刻し、別の犯罪者、つまり担任教師から罰せられたことがよくありました。)
電車が来る前に線路を渡るのは危なくないですが、例えば、ロータリーに反対方向に入るのはすごく危ないことです。でも、それに対する罰金は僅か20ユーロです。これは非常識でしょうか。国民のお金を奪うヤツラの視点から見れば、これは常識です。ロータリーに反対方向から走る車は殆どないため、儲かるチャンスもないのでどうでもいいのです。
ドイツに住んでいる娘は車で、黄色の信号のところを渡ろうと思ましたが、前の車の運転手はそう思わなかったため、追突事故になりました。罰金は不思議にも僅か35ユーロです。赤信号を無視すると罰金は50ユーロから200ユーロかつ1ヶ月の運転禁止です。前の車との間隔がメートルでタコメーターの表示されたスピード(kmh)の半分以下である場合の罰金は40ユーロ、十分の一の以下の場合は、罰金250ユーロかつ3ヶ月の運転禁止です。追突事故の場合、前の車との間隔はマイナスになったということではないでしょうか。
私の考えでは、事故を起こさず、他人に迷惑をかけないのに、ただその可能性があるなどのこじつけの理由で罰するのは不当です。しかし、人々を無謀運転から守るため、事故を起こした人は厳しく罰するべきです。
不注意・無謀・飲酒などで死亡事故を引き起こした人に死刑を言い渡す方が、今の無罪者を罰する方法よりいいと思います。
福岡で幼児3人が死亡するという悲惨な事故がありました:http://blogs.yahoo.co.jp/cattan922/499621/18329890.html?p=1&m=c&pm=l ここには「酒を飲んで運転した時点で殺人未遂罪!それくらいの法律があってもいいと思う。」と書いてありますが、私は賛成できないです。酒を飲んで事故を起こさない人は大勢います。大部分は事故を起こさないのです!酒を飲んだため僅かに事故を起こす可能性が上がったということに対し殺人未遂罪ですか。人間の歴史を見てみれば、人間そのものが殺人犯です。殺人予防のため殺人犯を犯す前に人々を皆死刑に処すべきともいうのでしょうか。(米政府はすでにイラクで始めています。)
次のブログ:http://life7.2ch.net/test/read.cgi/baby/1156607531/で見つけた意見:「そもそも飲酒運転で死者が出た場合は「殺人罪」を適用するべきだと強く主張したい。」にはむしろ同感です。
1.3億人もの人口を抱える大国日本では、政府が国民の活動の自由をどんなに狭めてみても、犯罪・強姦・事故が起ります。それは避けがたい現実です。利己主義的な政府の下では、人々の悩みやフラストレーションはつのり、責任感を育てることがむづかしくなり、人々はより危険な状態に陥ります。
政府や政府の執行機関は、大惨事の死亡事故の機会を悪用して違法駐車取締りを強化したと思えば、今度は飲酒運転の取締りを厳しくし、人々の自由と財産を奪っているのです。指導者のレベルの低さの表われです。彼らは新たな取締りが出来るよう、飲酒運転の悲惨な事故が起きることを待っていたのです。そういう事故は法律や取締りと関係なく、たまに起ります。
(残酷な性犯罪が起ると、待ち構えていたように、性犯罪と全く関係ないセックスや愛やインターネットの自由を制限することと同じです。)
ところで、日本では上記の福岡3児死亡事故の加害者は、死刑に処されないまでも比較的厳しく罰せられるようです。ドイツでは、こうした加害者はどうなるでしょうか。
ドイツでは、飲酒検査の際のアルコール濃度はPromille(=プロミレ/パーミル)で表します。パーセントの十分の一の数値です。1998年5月1日からはアルコール限度が0.5パーミル(呼気中のアルコール濃度0.25mg/lに当たる)に強化されました。以前は0.8パーミルで、40年前、私が免許を取った時は1.5パーミルでした。運転者は血中アルコール度数が0.5パーミル以下でなければ、高額の罰金と禁固刑に処せられます!
でも、泥酔で死亡事故を起こす場合は違います。ドイツの法律(§ 20
StGB)では、泥酔(3.0パーミル以上)の場合行為の善悪が分らない精神状態であるという理由から無罪です。運転の場合だけではなく、強盗、暴力、レープなどの場合でも犯行時3.0パーミル以上のアルコール濃度なら心神喪失状態ということです
。(また、アルコール濃度が2.0と3.0パーミルの間の場合は刑法§ 21 StGBにより、罪が軽減される。
)という事は、重大犯罪を犯した場合でも、急いでアルコールを飲み泥酔状態に持ち込めば無罪になるのです。
私は、ドイツのスキャンダル新聞「BILD」が、死亡事故を起した泥酔運転者が心神喪失で無罪になったケースについて伝えた記憶があり、インターネットで探してみましたが、ずいぶん前のことであったせいか、見つけることができませんでした。
他にも色々なスキャンダルがあります。
まず、泥酔状態で犯行を起こした人を有罪に処することができないことは原則ですが、ドイツ政府はこうした原則的に罰する事ができない泥酔者(犯罪者・運転手・一般人)を訴訟できるように新たな法律を作りました。今では故意にでも過失でも泥酔状態になること自体が法律(§
323a StGB)で禁固5年までの刑に処せられるようになりました。
次に、インターネットで見つけた飲酒運転についての記事から典型的な例を紹介します。
バイエルン(ドイツ南部の州)のサッカー選手クラウディオ・ピサロ(Claudio
Pizarro) (27) (http://www.bild.t-online.de/BTO/sport/aktuell/2006/09/26/pizarro-idiotentest/pizarro-idiotentest.html)のような他人に何の迷惑もかけず、ただちょっとほろ酔い機嫌の人々を罰することはいかにも政治組織のしそうなことです。ピサロ選手は午前中で連邦リーグの試合でゴールを決めた後、オクトーバーフェスト(バイエルンのビール祭り)で勝利を祝いました。祭りからの帰路、彼の車は警察に停止されました。彼のアルコール濃度は1.1パーミルでした。ちょうど1年前も1.1パーミルでつかまったことがあったため、繰り返しの飲酒運転というわけで長期間の運転禁止に処せられた上、精神鑑定である「馬鹿テスト」を受けなければならなくなったのです。
「ドイツでは、違反を重ねて免許剥奪になった場合MPU(Medizinisch
- Psychologische Untersuchung) --- 俗に「Idiotentest
(馬鹿テスト)」と呼ばれるもの ---
を受験して合格しなければ、再免許はもらえないことになっている。」(ドイツの免許 こぼれ話http://neckar.nagareboshi.de/index.php?page=dasleben_auto&subpage=11の日本語のページより)
この新聞記事http://www.abendblatt.de:84/daten/2006/04/28/557601.html?prx=1の登場人物(31才)の血中アルコール度数は2.24パーミルでした。コカインも使用していました。ドイツ市街地の制限速度は50kmhなのに彼は80kmh前後で走り、カーブでのコントロールがきかなくなり、横の木にぶつかりました。衝突した側に座っていたガールフレンドは即死しましたが、彼自身はシートベルトを締めていなかったにもかかわらず無事でした。
でも、それだけではありません。この主人公は運転免許を取ったこともなく、車はボロ車で車検もなく、保険にも入っていなかった上、彼は自動車税を免れる為車の登録もせず、偽造ナンバープレートで運転していました。
彼は警察に知られていない人物ではありませんでした。無免許運転、酒酔い運転、さらにはコカイン使用運転でもう6回も(!)取り締まられましたが、金がないため罰金は払えず、免許もないため、没収もされなかったため、本人は平気の平左だったということです。でも、今回の死亡事故により、(前の不法行為を含む)懲役3年の刑を受けたということですが、これは決して厳しい判決ではないと思います。弁護側によるとガールフレンドがこれほど酔った人の車に乗ったから共に責任があり、運転者は過失致死罪には問われないと弁護側は主張しました。
次の事件はもっとスキャンダラスです。http://www.querstellen.de/bananenrepublik-lueneburg.htm#oben
酔った運転者が14歳の自転車に乗った少年を轢き殺しました。この運転者は同乗者である仕事仲間と一緒に轢かれた少年を道路の路肩から捨て、逃走しました。この運転者は家へ帰り、眠って酔いをさまそうとしました。朝、彼が目覚める前に警察が来ました。普通であれば、過失致死罪と轢逃げの重い罪で拘留されるはずです。でも、今回は違いました。「轢逃げではない。眠って酔いをさまた後、自首するつもりでいた。泥酔のためすぐ緊急呼び出しができなかった。」等などの言い訳が認められたということです。
運転者の仕事場にはウィスキー瓶が多く存在していました。仕事仲間は、彼が酔った状態で車に乗ったことを知っていたはずです。ですから、法律に則って彼の運転を止めるか、警察を呼ぶべきでした。でも、警察に電話をかけることは出来ませんでした。自分が警察だったから、電話をかけてみてもお話中のはずです。泥酔状態で少年を轢き殺した運転者は実は警視総監でした。
検察官は警視総監を告訴し、故意による泥酔、故意に交通を危険に晒したかどで、さらに「過失致死罪」と轢逃げ犯として懲役1年9ヶ月を求刑しました。もちろん執行猶予付きで。
裁判長は執行猶予になる懲役1年の刑に処しました。何と言う寛大な判決でしょう。加害者は喜んだでしょうか。いや、そうではなかったのです。少年を殺した警視総監はこの判決は厳しい過ぎるということで上告しました。もっと軽い刑罰でなければ、警視総監は懲戒免職になるからです。このケースはまだ未解決のようですが、私に言わせれば、この警視総監は犯罪者の中の犯罪者で、文字どおり首切りにすることこそ正当な判決です。
ところで、この事件のページhttp://www.querstellen.de/bananenrepublik-lueneburg.htm#obenの他の記事は全て同じ町の原子力反対運動に対する警察の暴力についてです。
注意!−アメリカ合衆国での飲酒運転に関する罰はとても厳しく、僅かな量を飲んだだけでも収監されることがあり、警察から射殺されることもあります!!私がABCニュースで見た事件:ある農場の息子は田舎の酒場で飲んだ後、車の幅程度の狭い砂利道を車で両親の家へ帰宅する際、彼の同級生である警察官に追跡されました。この様子はパトカーのビデオカメラで録画されました。農家の息子は家に着いた時、警察官は彼にピストルを突き付け飲酒運転で逮捕しようとしました。警察官は同級生であったせいか、息子は本気にせず、「冗談だろう」というようなことを言ったため射殺されました。ちょうど玄関から出てきた父は自分の息子の殺害を目の当たりにしました。息子は警察官の命令を無視したため、射殺した警察官は罪に問われなかったということです。
このケースもインターネットで探してみましたが、見つけることはできませんでした。その時目にしたのが、次の州毎にまとめられた米国のポリス・クライム・ページhttp://flyservers.registerfly.com/members5/policecrime.com/killed/az_police.html
です。キラーコップス(Killer
Cops/殺す警察官)は意外に多いです。でも、このページを見てみると、ここでも、法と秩序をもたらすべき国の機関が無秩序状態です。取るに足らない交通違反や、理由もなく人を殺した警察官が責任を問われずに「任務」を続けることができ、逆に現行犯や、自己防衛のため犯人を殺害した警察官が逮捕され、免職を言い渡され、刑務所に入れられることもあるのです。人々を犯罪から守ることが警察の唯一の任務です。この任務遂行のために犯罪者が殺害されても社会の大きな損失ではないはずです。我々の社会に犯罪者は要らないものですから。
国家や国家の執行機関が平気で人々を殺すのは米国に限ったことではありません。どんな国でもそうです。貴方は国家に反抗すると殺されます。僅かの罰金や税金(貴方の所有物)でもこれを支払わないという、いわば、国家の暴力に反抗すれば、執行機関は貴方の住まいに侵入し、貴方の財産を奪い、貴方を逮捕するのです。もし、貴方が自己防衛を続ければ、国は貴方を殺してしまうのです。
「国は貴方に否と言わせない。」(60年代の米国の黒人解放運動の指導者であるEldridge Cleaverの著書`Soul
on Ice' からの引用)彼はまた「奴隷は自然死してはならない。」とも言いました。つまり、奴隷は自由のために戦って戦死するか、自由の身となって自然死すべきということです。
でも、彼は次のような敗北的な言葉も残しました。「我々は支配者(政府)には勝つ見込みがない、彼らは我々の拒否を受け入れることをしない。警棒に抵抗すれば、彼らは拳銃を構え、拳銃に抵抗すれば、彼らは重砲を使用し、重砲にも抵抗すれば、彼らは戦車や爆撃機で攻撃する。」 − もし、この戦車と爆撃機にも抵抗する者がいれば、彼らは原子爆弾や水素爆弾を使う。。。 と私は言い添えたいです。
「彼らは絶対諦めない。最後の言葉を言うのは彼らなのだ。」 しかし、「戦う」ことは「誇り」であり、自由を認めない彼らを敗北させねばならないのです。
私は、よく聞かれます:「もし無政府状態(アナーキー)で犯罪が起ったら我々はどうしたらよいか。」 理想的なのは、犯罪者が我々の自由に圧倒され、跳ね返され、戒められ、その結果犯行を諦めることです。
(注意!自己防衛をすることは現在ではとても危険です。自由に防衛できないのが現状です。政府(最大の犯罪者!)が犯罪者に同情し、人々の自己防衛権を認めないです。自己防衛のため家に侵入した犯罪者を殺したために無期懲役の判決が下った人は世界中にいます。)
自由な社会では一般人は、臆病でなければ、一般の犯罪者に十分勝ち目はあると思います。犯罪者が刃物を振り回しても、包丁、椅子、こけし、トイレブラシなどで抵抗し、犯罪者を打ち負かす可能性は高いです。拳銃を持っても、注意力が途切れた瞬間に拳銃を犯罪者から取り除けることも不可能ではないのです。最悪の犯罪者は最悪の武器を持っています。その武器とは、彼らの背後に立つ社会の支配者(政府)とその執行犯なのです。
犯罪者や侵入者に対し自己防衛できない場合や、犯罪者が逃げた場合、民間警備保障会社や探偵会社に警察の任務を任せれば、国家の警察より能率的に事の処理にあたるはずです。現在すでに、多くの会社が警察に失望し、民間のガードマンを雇ったり、民間警備保障会社と契約しています。
政府(=犯罪者)に自己防衛権を要求するのは上に述べたとおり自殺行為なのですが、全く不可能ではないです。つまり、人生にホトホト厭になり自殺したくなった時や、病気でどっちみち死が近い時、全身全霊をかけて、我々を奴隷化した犯罪者に挑みかかれば、負けることはないでしょう。もし、そこで死んだとしても、その死は有意義であり尊厳に満ちているのです。
犯罪者、つまり、他人の財産や自由を(程度には関係なく)奪う加害者は、たとえ彼らが被害者から酷い目に遭わされ、ついに殺されても、それは自ら招いた災難です。自ら蒔いた種なのです。犯罪者を殺害しても、自責の念にかられる必要はないのです。
私がここでは繰り返し言いたいのは:
「人間は、他人の命、自由、そして他人の財産に対して暴力を行使する権利はない。さらに、自分のために第三者をして他人に暴力を行使せしめる権利もない。
人間は、自分のために指導者を選ぶ権利がある。だが、その指導者を他人に押し付ける権利はない。選ばれた方法と関係なく、指導者が他の人間より大きな権利を有するわけではない。立派な肩書きをもち多くの人々に支持されようと、人を殺す権利もなければ、奴隷化する権利もなく、強盗をはたらく権利もない。人間は自分がもっていない権利を指導者に与えることはできないのだから。」(http://www.hpo.net/users/hhhptdai/epilog.htmを参照)
つまり、指導者なしに生きる事ができない人は、自分のために指導者を選ぶことは出来る。しかし、指導者を必要としない者がいる中で、皆の指導者(政府)を選ぶために選挙に参加する者は、指導者(政府=最大の犯罪組織)の共犯者に他なりません。
程度の違いこそあれ、世界中の政府は皆犯罪組織です。
個人レベルで政府より上手く解決出来ない問題はありません。
今日、耐震構造計算偽造事件で、裁判長は姉歯秀次元建築士に懲役5年、罰金180万円を言い渡しました。姉歯は大勢の人々(女性、子供含み)の命より私益を優先させました。ヒトラーやポル・ポトのような大量殺人者と比較させるべきものではないでしょうか。たまたま、死者はいませんでしたから(それは彼の功績ではない)、絞首刑にしないとしても、少なくても無期懲役を言い渡すべきだったと思います。日本では必要とする人々のために麻薬の運び屋をした者は、この姉歯元建築士より長く服務することが多いのです。
2006年12月26日 ハウプト・ホルガー