手の複雑骨折の時の経験。専門医でなければ...

私は毎朝自転車で10キロ離れた公園へ行くようにしています。そこで健康のため一生懸命運動します。健康には充分注意を払い、努力しているので私は絶対医者はいらないと思っていました。でも皮肉なことに、ある朝ぬれた道で滑って転倒し、左手首を複雑骨折してしまいました。
ある病院の整形外科で治療を受けました。これまでの経験から、簡単に医者に任せるのは危険なこともあると分かっていたのに、自分の目と理性ではなく医者のやり方と言葉を信頼しました。しかし、それは間違いでした。
私達、医学の素人でも、どんな医者からどんな治療を受けるかしっかり注意していなければなりません。難しい病気やけがでは、専門医を(例えばインターネットや図書館で)探す方がいいと思います。
複雑骨折をした私の左手とう骨は医療ミスで1,5センチも短くなり、手の平を上に回せなくなりました。

ここで、詳しい状況を知ってもらう為、私が治療を受けた先生への手紙を公開します。

“?:-)先生と?:-(先生へ”、(先生達のプライバシーを守るため名前を伏せます。)

私は4月3日、救急車でXXX病院に運ばれたハウプト ホルガーです。私の事をまだ覚えていると思います。左手首の複雑骨折でした。
この日から私がドイツに発つ直前の5月29日まで貴病院整形外科で受けた治療、それにひどい仕打ちについて批判しなければならない気持ちを抑える事ができず、ペンをとりました。

まず、今考えてみると私のように大急ぎで救急車で運ばれ、激痛で苦しむ患者が普通の患者と同じく待合室で2時間近くも待たせられたのは地獄の様でした。骨折で手首が腫上がり手がぶら下がった状態でした。やっと指先を上にして腕を掛けてもらった時、痛みがずいぶん鎮まりました。速やかにこの処置をしてくれたならどんなに楽だったかと残念でなりません。

貴病院での診断「worst type fracture」と手首を伸ばして固定機を着けたことは疑いもなく正しい判断でした。その時、固定機を着ける期間は4週間、その後3週間ギプスをすればほぼ100%回復すると言われました。治療はその通り行われました。私には全く異存はありませんでした。ところが、この時間割は私の希望であって病院側の意図ではなかったと後に貴病院からの診断書に書かれているのを目にしたときは驚きました。(私が自分から望んだのは、2、3日が望ましいと言われた入院を1日だけにしてもらったことだけでした。)

事故当日、固定機を着けてもらい、一晩入院しました。
その後は、治療の他、毎週レントゲン写真を撮られました。4週間後 外来で予定通り固定金具が取り外される事になりました。 気持ちとしてはもちろん早く取ってもらいたかったですが、一応「ほんとに大丈夫ですか」と聞きました。「大丈夫です」と言われました。でもこの金具を取り外す作業が簡単ではありませんでした。実際その作業に当たったX?LX先生は、固定金具のネジを取り外す工具の使い方がわからなかったようです。 おそらくこの工具を手にされたのは初めてではなかったかと思います。ジャッキがハンドルの中に収納してあることさえだれかに電話で教えてもらいようやくわかったようでした。その後もこの機械の扱い方がわかっていらっしゃらなかったようでした。少しでも日曜大工をたしなむ者には常識の機械でしたけど…。?:-(先生は機械がやっとネジに届いた時には、もう平静を失った状態で、意味もなく押したり引いたりしながらネジを抜きました。手は固定されておらず動き続けたのでひどい痛みを覚えました。あの時、手をあんなにも動かして良いなら、どうしてまたギプスなど必要なのかと不思議でなりませんでした。?:-(先生のギプスは全指を圧迫しました。
1週間後、?:-)先生がギプスをやり直してくれましたが、親指を圧迫し、しびれた感じがしました。

その後毎週続けてレントゲンを取りましたが見せてはもらえず、ただ大丈夫とだけ言われ、とう骨がずれている事は知らされませんでした。それどころか、6月にはドイツで畑仕事が出来るとさえ言われ、私はその言葉を信用してドイツへ発つ準備をしました。

3週間後、ギプスの代わりシーネになりました。お風呂の中と風呂上がりに手首の運動をするように言われました。
1週間後、ドイツへの出発の2日前、?:-)先生はやっとレントゲン写真を見せてくれ、突然とう骨が1.5cm縮んでいることが明らかになりました。?:-)先生は、さらに短くなるのを防ぐためそのままとう骨にプレート(金属版)をつける手術が必要と言われました。手術はすぐできるからドイツへの出発まで間に合うとの事でしたが、素人判断でもそれはナンセンスだと分かり、拒否しました。
?:-)先生は、手術をしないなら、4週間 上腕までギプスが必要と判断しました。先生のパニック状態を察し、それも拒否しました。とりあえずこのままシーネを使い、ドイツで手の専門医に見てもらおうと決心しました。レントゲン写真のコピーを頼み、数枚のコピーをもらいましたが、残念ながら固定機の乱暴な取り外し直後のレントゲン写真は入っていませんでした。それから、ドイツの整形外科の医者のためということで英語での手紙を渡されました。

驚いた事に、その手紙が間違いだらけでした。私の年齢が46歳ではなく41歳と書かれ、さらに 実際には左手のとう骨骨折にもかかわらずRight radius fracture(右とう骨骨折)と書かれていました。
これらはただのケアレスミスに過ぎないでしょう。しかし、大きな意図的間違い(ウソ)を目にしたときは、非常に腹が立ちました。 すなわち、手紙には6 weeks after the operation, because of his urgent request, we removed the external fixation (手術6週間後患者の強い希望により固定機を外した)と書かれていたのです。固定機を付けた期間は6週間ではなく4週間でした。しかも取り外したのは、私の意思ではなく先生の判断でした。恐らく、先生は4週間の固定機着装期間は短すぎ失敗だったことを内心認め、それをカムフラージュし、しかも患者のせいにさせたかったのだと思います。
次の説明では「 ...immobilized by using the Gips (sic). 2 weeks after the removal (of gypsum?) the shortening of the radius appeared on X-ray (29, May)(ギプスによる固定。〈ギプスの?〉取り外し後2週間後5月29日のレントゲン撮影によりとう骨の縮みが確認」とのことですが、 事故の日から5月29日まではちょうど8週間、固定機を着けた期間が6週間で、そしてギプスをし、ギプスを取ってから2週間後とう骨が短くなったというなら、ギプスはたった1日しかしてない計算になります。しかも「5月29日のレントゲン撮影によりとう骨の縮みが確認」というのはウソです。実際には、5月22日、ギプスを外した時(その時も“ほんとに大丈夫ですか”と念を押しました)のレントゲン写真ですでにとう骨が短くなっていた事が確認できます。

ドイツで3人の専門医に診てもらいました。 最初のお医者さんは小さな救急病院の医長でした。大きな市立病院の整形外科医長の予約もしてありましたが、貴病院の先生たちの様子から急を要する事かもしれないと思い、まずこの救急病院に行きました。そこの先生は、とう骨が短くなり過ぎ、従って手首の回転がうまくいかず(この時点でその手首の回転可能角度は90度でした)、それを治すには、再手術により骨盤の骨を使ってとう骨を伸ばす方法しかないと言いました。自分はそうした手術はしないので市立病院の医長Dr.Kr*mer(予約を入れてた先生)あるいは70kmの離れたハンブルグの有名な手の専門医Dr.Parteckeを薦めました。
Dr.Kr*merは、レントゲン写真を見て、貴病院からの手紙を読んだ後、驚愕しました。(私はまだその時何も言いませんでした。)「We advised (sic) ORIF.... requires more additional management.」に対し いったいどういう意味か?金属版を付けるんですか?5月22日のレントゲン写真からすでにその時点で事を起こすのは遅過ぎると判断しました。その1週間前にレントゲンを取った時だったら(残念ながら写真のコピーはありませんでした)とう骨がずれるのを阻止する措置を取るのにまだ間に合ったでしょうと言われました。Dr.Kr*merは骨盤の骨を使って他の骨を伸ばす手術の経験がありましたが、さらに知識と経験の豊富な手の専門医Dr.Parteckeを推薦しました。
Dr.Kr*merは、「骨がもっとずれているかどうか知るため,新しいレントゲン写真を撮りたい」と言う私の願いを受け入れませんでした。事故後、すでに10週間も経過しており、さらにずれることはないので無意味に放射線を浴びることになるだけとの事でした。それからシーネをはずし、手を動かす様に言いわれました。

二人の整形外科医に手の専門医Dr.Parteckeを薦められたので(医者が自分の力ではベストの治療が出来ないと判断した時、適任の専門医を紹介してくれるのは患者にとってはありがたい事です)2週間後、当医師の診察を受けました。診断結果は同じで、当医師も骨盤の骨でとう骨を長くする手術をせずに単に金属版で骨を固定する方法には首をかしげるばかりでした。
Dr.Parteckeもレントゲン撮影には慎重でした。私の安心のためということで撮りましたが、とう骨はそれ以上縮まってはいませんでした! こうしたわけで、 貴病院で薦められた手術ならびにギプスの装着は本当に無意味なことと解かり、それを拒否したことに安堵感を覚えました。

健康保険の関係から、再手術はできれば日本でしたいと思い、東京で手の専門医を探しました。ここでも数箇所の医療機関を訪ね、最終的に立川病院院長で整形外科医の矢部 裕先生に手術をお願いすることにしました。私は、これまでに受けた治療の事はもちろん、その後に訪ねた医師の診断、助言などすべてをレントゲン写真などの資料とともに矢部医師に明らかにし、私の考えや希望なども述べ、医師の判断を仰ぎました。医師は大変忍耐強く聞いてくれ、十分な時間をさいて丁寧にアドバイスしてくれました。
完全なインフォームドコンセンスのもと8月18日立川病院(共済組合連合会)で、矢部医師チームにより5時間にわたる手術を受け、骨盤の骨によってとう骨はほぼ元の長さに戻りました。

XXX病院整形外科で私の被った医療ミス、しかも私が責任者に仕立てあげられ、その結果さらに大きな手術を受けるはめになり、再度不自由なギプスを強いられて大変不愉快な思いをしています。日本でなければ病院に損害賠償責任があるのではないかと思います。法的な責任は別として、今後私の例を患者の診断*治療のため役立て、二度とこうした間違いを犯さないで欲しいと思います。病院の利益や、医者の面目ではなく、患者の健康を第一に考えるのが診療者側のモラルでしょう。今後そちらの病院の手に余る複雑骨折の患者は、他の専門医に紹介して下さい。

ハウプトoホルガー

これが私の当時の医者に宛てた手紙です。再手術のおかげで手の機能は戻り今では日常生活には殆ど困りません。
ここで書き足したいことは、日本へ帰り、東京で手の専門医を探した時も驚くべき経験をしたことでした。
特にある医大の手の外科外来にはがっかりさせられました。私がこの医大を訪れたのは、ドイツのDr.Parteckeがその大学の先生を学術会議で知り合い、私に推薦してくれたためです。残念ながらその先生はもう引退し、若い整形外科医が話しを聞いてくれましたが、最初レントゲン写真を見せた時、“もう治ったじゃない。これから使ってみなさい”と言いました。それでも、私の説明の後、手の専門医と予約してくれました。
2週間後この大学病院には手の専門医が3人もきていました。この時私は一週間前に他の整形外科で撮ったレントゲン写真を持って来ていました。ところが、彼らは、一週間前のレントゲン写真では診断が出来づどうしても新しい写真を撮らなくてはいけないと主張しました。そして、右と左手3枚ずつとTopography(何十枚もの断層写真)3組を撮りました。ところで、私が先生たちと話しをするため部屋に入った時は、丁度たばこを吸い終わった所で部屋の中は煙が充満し、実は前回の時もそうだったのですが、窒息しそうになりました。医者の診察室での喫煙は、患者に不信感を与えます。
彼らが私に薦めた手術は、単に尺骨の中央部を4、5cm切り取ってしまい、尺骨ととう骨を手首の所でそろうように、ねじで停めるということでした。こんな単純な解決法のために何十枚もの断層レントゲンが必要だったのかと不思議でした。ある二十年代の女性にもこの手術が施されたそうです。しかし、私のとう骨は短か過ぎるだけではなく、下にも曲がっていたのです。
私がドイツの専門医の意見を説明した時、先生達は、この骨盤の骨でとう骨を伸ばす手術に高い関心を示しながらも、“難しい、難しい”の連発でした。おそらくこの手術の経験がなかったのでしょう。ナーバスな喫煙家の手を見て、私は絶対彼らの実験台にはならないぞと心に決めました。
さらに、手の専門医を探しました。ところで、日本の整形外科はレントゲン写真を撮るのが大好きのようです。儲かるからなのでしょう。こうした医者にとって、患者への放射線の害などどうでも良い様です。しかし、実際に私の手の機能を完璧に回復させてくれた矢部先生は例外でした。
ドイツでの三人の整形外科の一致した所見がなければ、私はこんなに忍耐強く適任の医者を探す事はできなかったでしょう。あるいは、不自由な手のまま一生を過ごす事になっていたかもしれません。

悪い経験はそれだけではありません。五年前、少し大きくなったホクロが気になって皮膚科へ行きました。そこの皮膚科の先生にもう悪性の皮膚癌の末期段階ではないかと言われました。背中の筋肉の半分を切り離す手術が必要で、もし手術が間に合わなければ一年以内に亡くなるかもしれないとさえ言われました。日本の医者は普通末期癌患者に真相を伝えないはずなのに、彼は最初の診察日にこの様なことを言いました。
この時も、何人かの専門医を訪ね、最後に手術をお願いした皮膚癌専門医は、ごく簡単な小範囲を切り取る手術でホクロを除去しました。まだ、前癌の状態だったそうです。

娘の側湾症の時も、ある病院の整形外科が彼女にあつらえたボストンブレス(コルセット)は大きすぎていつもずれた状態になり、COPP−Angle(カーブの角度)も悪くなり続けました。私が疑問に思う気持を伝えても、その先生はただ“大丈夫、大丈夫”と言うばかりでした。
後であるドイツの専門医は、このコルセットでは背骨は悪くなるばかりで決して良くならないと判断しました。レハビリ運動と骨の曲がりを反対方向に力を加える新しいコルセットでカーブの角度は30* から4*に回復しました。

私はドイツ人なのでドイツで専門医を探しましたが、ドイツの医者が日本の医者に比べすぐれているというわけではないと思います。
父が、長い喫煙の当然の結果として肺癌の末期癌になった時、無理な大腸癌と肝臓の手術が行われました。八時間もの大手術の後、父の頭はおかしくなり、体は最後まで回復しませんでした。両親が医者に不満をぶつけた時、医者も腹を立て「どうせもうすく肺ガンでだめになる」と軽蔑的は言葉を浴びせました。肺癌で死ぬ前に、大腸癌と肝臓の手術を施すのは儲ける為だったのではないでしょうか。

叔父も癌で亡くなりました。右足が痛いと何度も訴えましたが、医者はいつも、大丈夫、大丈夫、ただの疲れだ等と言いました。医者は叔父が仮病をつかっているとまで言いました。やっと、検査の結果から癌だと分かった時、もう手遅れでした。66歳でした。

私自身も18歳で口内炎と発疹に悩んだ時、キール医学大学の皮膚科でひどい経験をしました。医者は、どんな病気が分からなかったのでいつも違う薬を処方しました。まるで実験台です。病巣を探すため無理な扁桃摘出手術もしました。治療中、医者から何回も「汚いヒッピーだから、のみで刺されただけじゃないですか」等の軽蔑的な言葉を浴びせられました。髪の毛は確かに長かったけれど、私は当時すでに、土曜日しかお風呂に入らない普通のドイツ人と違ってお風呂が大好きでした。他のドイツ人よりずっと清潔だったと思います。
ヒッピーの青春時代の経験については別のページでふれます。

ハウプト ホルガー

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