臓器売買
宇和島徳洲会病院では生体腎移植の臓器ドネーションを巡る腹立たしい事件があった。勿論、日本でも外国でもマスコミがことさらにスキャンダルを引き起さないと人々は反応しない。上記の臓器ドネーション事件のスキャンダルは、ドナーが腎臓をドネーションせず、金で売ったことであった。その上、ドナーは親戚ではなかった。両方が違法だった。(移植された腎臓は、レシピエントから剥ぎ取られることはなかったが、裁判長は「臓器移植法の人道性、任意性、公平性という基本理念に著しく反するもので、移植医療に対する社会の信用性を揺るがした影響は大きい」として、患者と仲介した患者の内妻の両被告ともに懲役1年、執行猶予3年(求刑・懲役1年)を言い渡した。金を受け取ったドナーは罰されなかった様だ。)
私のことを知っている方は、この様に国家が人の私事に干渉することに私がどんなに腹を立てるか想像していただけるだろう。
国家は、無知蒙昧な大衆を操って社会支配者になった言わば犯罪組織であり、しかも我々の個人的なことをあれこれと穿鑿(せんさく)する。
(自由と正義を知らない人の為にここに繰り返して言う:人間は、他人の命、自由、そして他人の財産に対して暴力を行使する権利はない。支持する人の数とも関係はない。たとえ過半数を得たとしても政府(所詮はただの人々)にそうした権利はない。呼び名に関係なく、偉大な将軍、総理、王様であっても、彼らは実際ただの人間に過ぎない。連発犯罪を働いても、その権利はない。http://www.hpo.net/users/hhhptdai/uso.htmやhttp://www.hpo.net/users/hhhptdai/epilog.htmを参照)
社会支配者(犯罪組織)は。。。
国家は我々に多くの理不尽を押し付ける。アメリカであれ、ヨーロッパであれ、中国、日本、第三世界であれ、いたるところで同じように。。。 その相違はわずか。
国家が我々の財産と行動の自由を奪うのは不愉快であるが、臓器移植法によって我々に自分の臓器を売買を禁じるのはさらにムカつく。本当に内臓をつく。
臓器売買についてインターネットで調べた。英語、ドイツ語、日本語のページ。。。どこでも倫理,
道徳と人間の「尊厳」を強調したむかむかするほどの無駄口が目立った。行動の自由こそ人間の「尊厳」ではないのか。
チャーチルは「もし二人がいつも同じ意見なら、一人はいなくてもよい」と言った。支配者やマスコミの意見を繰返し言う人々も不要だ。
特にキリスト教、緑党や左翼の人たちは、国家内での臓器売買禁止だけでは満足せず、国際的禁止を求めているようである。
実は、私は、西欧より実用的であり、宗教やイデオロギーを余り気にかけない日本が臓器売買を禁止したことに驚いた。日本の臓器売買禁止は、西欧を真似したCopycat crime(模倣犯罪)でしかないのではないのかと感じている。日本は外国から「日本人は非道徳的だ」と言われるのを恐れているのだろうか。あるブロガーは、妊娠中絶に関し道徳上米国は日本より敏感だと書いている。確かに、アメリカ人は、まだ生まれない命を中絶する事に良心の呵責を感じるが、生れた人間の命を戦争などで中絶することには鈍感のようである。
私の腎臓は私の物だ。腎臓は二つあるが、一つで十分だ。もし、一つを売ろうと売るまいと、それは私のことだ。他人(政治家、イデオロギーや宗教の信奉者など)がとやかく言うことではない。
死者の遺族が死んだ人の臓器を売る事も、死者自身が売買に意義を唱えないかぎり、問題はないはずだ。現在、欧米では(日本でも?)公共医療施設の関係者が事故などの犠牲者が死ぬ直前その親族に臓器提供の話を持ちかける。それは臓器不足解消のため奨励されている。別の言葉で言うと、大事な取り返しのつかない最期の時間が親族から奪われてしまう。
医療が親族の死の悲しみを無視することも多い。それなのに、なぜ臓器提供に対して報酬を受け取るのはいけないのだろうか。遺族が財政難に陥るケースも多い、葬式にも金が掛かるし。。。
ドナーや遺族以外の、医者、病院、製薬会社などは皆臓器移植により儲けている。皆が利他主義者ではない。
臓器提供を待つ患者は多い。ドイツでは、腎臓だけでも4万人の患者が臓器提供を待っている。平均待ち期間は4年半を越える。毎日、10人の臓器提供待ちの患者が死ぬ(ドイツの雑誌http://www.tagesspiegel.de/politik/archiv/31.05.2007/3299535.aspより)。ケン・スクールランド博士の調査によれば米国では毎年6000人前後が臓器ドネーション不足で亡くなる。(ケン・スクールランドの英語記事:http://www.butterbach.net/mainfare/lifeanddeathtaboo.htm)。臓器売買が合法であれば、彼らの命は救われる。現在米国で臓器提供に登録しているのは人口の12%に過ぎない。臓器提供カードサインに25ドルが支払われるとすれば、この数は60%に上がるという調査結果がある。一方、1万ドルの場合でも、この数は68%にしか上がらない。だが、こうした報酬は違法である。
1984年、アル・ゴア上院議員が法案を支援し、レーガン大統領がサインした現在の移植法(National
Organ Transplant Act)によれば、臓器売買は違法で、5年以下の懲役(ドイツも同じ)と、5万ドル以下の罰金刑に処せられる。つまり、医者、看護婦、病院、コーディネーターなどへの報酬は支払われなければならないのに、臓器提供者(当の臓器所有者)に金を出すのはいけない。
このナンセンスなイデオロギーのために大勢の人々が死ぬ。
そもそも、社会支配者は一般人の命には無頓着である。戦争、空爆、反乱鎮圧などの現場を見てみるがよい。また、僅かの罰金や税金を支払いを拒み、国家の暴力に自己防衛を続ける人々。国はそういう人たちを殺してしまう事もある。臓器売買禁止で犠牲となる何千もの人々も、国家の犯罪歴史上では取るに足らないものかもしれない。
人々は、臆病でなければ、個人の犯罪者に対しては勝ち目はある。犯罪者が違法な拳銃を持ち、我々法律をよく守る良民が拳銃を持ってない場合でも、犯罪者の注意力が散漫になった時などには、犯罪者を打ち倒すことも不可能ではない。(私はそういう時のため枕元にコケシを用意している。)
社会支配者(犯罪組織)に対し自己防衛権を行使することは自殺行為に等しい。だが、全く不可能ではない。人生にホトホト厭になり自殺したくなった時や、病気でどっちみち死が近い時、例えば、臓器売買を違法とした政策により殺害されるも同然に陥った人は、最後に全身全霊をかけて、返報することもできる。たとえそれで死んだとしても、その死は有意義であり尊厳に満ちている。
犯罪者が被害者から酷い目に遭わされ、ついに殺されても、それは自ら招いた災難だ。自ら蒔いた種なのだ。犯罪者を殺害しても、自責の念にかられる必要はない。自分を狙った殺人犯を殺すのは自己防衛であり、徳義に基づいた行為である。
国家権力はいつも恣意的である。支配者のその時の思いつきで我々は人を撃ち殺し、撃ち殺される戦線へ行かされる。かと思えば、今度は、車のシートベルトを締めなかったかどで罰金を徴収される。私の祖父は、ドライバーが交差道路をよく見えるようにと生垣を取り払わされた。だが、最近友達は入口を広げるため、生垣を1メートルほど取り払ったら、5000ユーロの罰金を科せられた。以前義理の父は近くのセメント工場の公害を止めようとした。屋根瓦はセメントの粉塵で硬くおおわれ、健康にも悪い影響があったに違いない。義理の父は喘息になったが、彼の訴えは不成功に終わった。産業が環境より優先された時代には、一酸化炭素、ダイオキシン、ヘビーメタル(重金属)などの排出基準は甘かった。現在では、ばかけた思い付きにより、二酸化炭素排気を減らす緊急処置がとられている。二酸化炭素は植生にとって重要である。地球温暖化と全く関係ない。(ここで英国のチャンネル4の放送”The Great
Global Warming Swindle”を推薦する。DVD販売:http://www.wagtv.com/acatalog/Store.asp、ドイツ語サブタイトル付きの無料オンライン版http://www.secret.tv/artikel/The_Great_Global_Warming_Swindle_deutsch_1050599.html?PHPSESSID=b5650183daa93432ecf3c5953bf55424
)
二酸化炭素排気による温暖化は嘘だ。政治家とマスコミの真っ赤な嘘だ。温暖化は、以下に挙げるこれまでの虚偽報道と同様、政治家とマスコミによるプロバカンダに他ならない。
オゾンホール、BSE、酸性雨と森林枯死("Waldsterben")
の騒ぎ(80年代には2000年までドイツの森は全て枯死するだろうと言われた。ご覧のとおり森はいたって元気http://www.hpo.net/users/hhhptdai/sommer2003jp.htm
)ベトナム戦争への道を開いたトンキン湾事件、セルビアのエスニック・クレンジング(民族浄化)、1991年第一湾岸戦争の米国(同盟国)の参加を容易にした早産児保育器赤ん坊大虐殺(米国の支配者は、クウェートを占領したイラク軍がクウェート総合病院産婦人科病棟の早産児保育器に入っている赤ん坊らを集団殺害したという偽証言を生み出した。それを目撃したという看護婦役を演じたのは王室出身の在米クウェート大使の娘であった。この嘘宣伝を制作したPR会社ヒル
アンド ノウルトン(Hill and Knowlton)は一千万ドルを貰ったということである。http://www.whatreallyhappened.com/RANCHO/LIE/HK/HK_IRAQ.html、http://en.wikipedia.org/wiki/Hill_&_Knowlton)それに第二湾岸戦争を容易にしたイラクの大量破壊兵器、などなど。
(臓器売買を禁止することにより)支配者が人々の尊厳を守るというのも真っ赤な嘘だ。全く逆である。
上述したとおり、国家権力はいつも恣意的である。現在は子供を生めば国家から褒美を貰う(私のページ年金と少子化問題(ドイツの場合)やこれはチャイルド・アビューズだ)が、支配者が我々人間こそ最大の環境汚染であると気付くと我々は逆に強制的に去勢される。去勢された雄猫の一生は平和的でストレスレスだということがすでに言われている。去勢され、シートベルトを締めて運転すれば交通事故を減らすことに貢献するに違いない。強制的人工流産は既に現実である。中国や人口過剰に悩む第三世界のいくつかの国々で。
臓器移植が、臓器提供は自由意志で行われなければならない(財政困難から脱ぎだすために自由意志で提供するのも、十分自由ではない。)というのは、現在の支配者の恣意的な政策にすぎない。しかし、左派イデオロギーが世界中の支配者層の中にますます広がり続け、それにより人間の格差を縮め、廃止しする方向が強まれば、移植は強制的になるに違いない。「貴方はお金を持っているが、隣りは持ってない。それは不公平だから、我々は貴方のお金を盗って、隣りにあげる。」 これは、国家により普通に行われていることであるが、同じ事を個人で行えば、理不尽にも国家の罰則を受ける。(しかも権力の格差は全く是正されない。この格差はますます広がる一方である。全てが支配者層によって決定され、一般人は些細な私事でさえ自分で決められなくなる。)
将来、「国家の恩寵」により人々は臓器提供を強制されるようになると言っても過言ではない。「貴方は腎臓が二つあるが、一つで十分だ。隣りは健康な腎臓が一つもない。それは不公平だ。我々は貴方の腎臓を一つ盗って、隣りにあげる。それは平等だ。」
リバタリアニズムの代表的論者であるロバート・ノージック(Robert Nozick)は上の例を目に関して当てはめた。目の移植が可能になった暁には、盲人も見えるように片方の目を差し出さなくてはならなくなるかもしれない。
人間間の最大の格差は人知、知識や理解となって表れる。ある人たちの知性は、義務教育の終点ですでにピークに達し、その後くだらぬエンターテインメント、アルコール、ドラッグ、コンフォーミティ(妥協)、怠惰、服従、腐敗に染まって下る一方である。しかし、一生勉強と努力を続け、知識や理解を深めて行く人々もいる。彼らは知性のピークの目標を常に将来に設定する。税制も移植もこの格差を無くすことはできない。
最後に、私の臓器提供や移植に関する個人的態度を表明したい。科学の発達をはじめ、人間が日々進歩を遂げて行くことは私にとって大きな喜びだ。とりわけ、近代外科
移植手術のパイオニアたちは英雄であり、我々は、彼らのような素晴らしい人間を生み出したことを大いに誇るべきである。
だが、実際私は自分の臓器を移植のために提供するつもりはない。私は生に強く執着する人々を軽蔑する。健康維持・増進の知識を持たず、そのための努力を怠る人々をも軽蔑する。私の臓器によって、(私のような)嫌煙家を無視したような喫煙家が長生きすることなど絶対に許せない。あるいは、私の臓器で、「私のネックにキックする支配者」を選んだような馬鹿者の命を救うことももってのほかである。それくらいなら、私は自分の臓器をハゲワシや猛獣に餌のために提供する。
私自身も移植や最前線医学によって長く生かされたいとは思わない。自分自身でまっすぐ立って生きられない状態になるなら、自身で自分に止めを刺す。病気で不自由になるくらいなら死んだほうがマシだと思う。
日本では、粗大ゴミ状態になる前に自殺する高齢者の割合が諸外国に比べ非常に多い。マスコミや政治家はそうした自殺者を批判するが、それは彼らが、人々の自由や自立が妨げられる事を望んでいるからに他ならない。むしろ自殺する年寄りはその勇気を誉められるべきだ。勇気のない人は死を恐れ、自殺することはできない。人間らしさの条件のひとつは直立であり、寝たきりで生き続けるのは人間以下だ。自殺は卑怯な振る舞いだと主張する者もいるが、それは自殺できない弱虫の戯言にすぎない。欧米では、キリスト教の影響で自殺を恐れる年寄りが多い。末期状態でも「神から与えた命」を故意に終わらせると地獄に落ちるという馬鹿馬鹿しい理由から、自殺を忌み、末期症状に甘んじる。
自殺者を止めたり救ったりするのは彼の自立を犯す行為であるから、やめたほうがいい。自殺者が私だったら、邪魔した奴は酷い目に遭わせてやる。
ホルガー ・H・ハウプト